全日本プロレスに復帰してからのブルーザー・ブロディは88年3月27日日本武道館で、鶴田を17分7秒、キングコング・ニードロップで破り、インターナショナル・ヘビー級王座に4年7か月ぶりに返り咲き。
4月4日、愛知県体育館で谷津嘉章を相手に初防衛に成功した後、4月15日、大阪府立体育会館ではスタン・ハンセンとのダブルタイトルマッチを制し、PWF、UN両ヘビー級二冠王者となった天龍と史上初の三冠王座統一戦を行い30分、両者リングアウトの引き分け。壮絶な死闘でした。
4月19日、仙台・宮城県スポーツセンターでブロディは鶴田のバックドロップにフォール負けしベルトを奪い返されています。
シリーズ最終戦の4月22日、川崎市体育館ではブロディはスヌーカと組んで天龍、阿修羅・原組のPWF世界タッグ選手権に挑戦する予定でしたが、スヌーカが前21日の後楽園ホールで足を負傷し欠場。ブロディはトミー・リッチと組んで王座挑戦。
15分6秒、天龍がリッチをパワーボムからのエビ固めで破り王座防衛。結果的にこれがブロディ日本国内最後の試合となりました。
ブロディ刺殺事件のあった88年7月16日当日、アメリカから遠征に来ていた武藤敬司はプエルトリコのバイヤモン球場で試合をしていました。
ブロディ刺されるの報は直ぐに他のレスラーの知るところとなり、身の危険を感じた武藤以下アメリカから遠征してきたレスラーは翌日にはアメリカに戻ることになりました。
武藤はアメリカに一旦戻った後、日本に一旦、帰国。また、87年3月20日、後楽園ホールでの第3回ヤングライオン杯優勝決定戦で橋本真也を破って優勝、西ドイツ修行中だった蝶野正洋、同じく同年準優勝でカナダ修行に出ていた橋本の「闘魂三銃士」がワンマッチ凱旋で88年7月29日、有明コロシアムでトリオを結成。藤波、木村健吾、越中詩郎組と対戦しています。
武藤、蝶野、橋本組はスタートから物怖じしないラフファイトで先輩チームを場外に落とし、フェンスに叩きつける展開。
怒った藤波がロープブレイクを無視して武藤にキック攻撃を浴びせて8分23秒、藤波組の反則負けとなりましたが闘魂三銃士は観客にインパクトを残す闘いぶりを見せ付け、新日本プロレスに新しい時代がやって来たことを印象付けました。
またこの日は、5月8日の有明コロシアムで山田恵一を破ったドン・ナカヤ・ニールセンに山田に関節技を熱心に教えていた藤原喜明が、弟子の敵討ちとばかりニールセンに挑みました。
試合は3分7ラウンドで行われ、ニールセンの打撃で出血した藤原が5ラウンド1分46秒、TKO負けし、返り討ちに遭ってしまいました。
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