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2018年04月29日14:49

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90歳。私の願い

本日。90歳の誕生を迎えました。
私は昭和3年 (1928)、神戸市に生まれました。その後、宇部市、満州の鞍山市、大阪市、和歌山市、高松市、草津市。枚方市・・・とよくもこれだけあちこちと変わり、また90年も生きてきたものだと思います。

その間、振り返ると、支那事変、太平洋戦争勃発、終戦、湯川秀樹ノーベル賞受賞(1949年)、東京オリンピック(1964年)、名神高速道路開通(1965年)、大阪万博開幕(1970年)、松本サリン事件(1994年)、阪神淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)、平成天皇・美智子皇后ご成婚(1959年)等々思い出されます。

本当にいろいろありました。しかし、どんな大きなことも必ず過去になる。
そうした中で、私は何をしたのだろうか、何を残したか、いいことも悪いこともいっぱい、懺悔反省の思いでいっぱいです。

気が付くと90歳。枚方市の人口40万人、90歳以上の人は4000人ですから、わずか1%、100人に1人しかおりません。
わたしも100人に1人の中にいることになりましたが、、おかげでまだまだ認知症でもなく、週3回、電車に乗り、夫婦そろってヨガ教室に自力で元気で行けています(妻は85歳)。ありがたいことです。

論語(子罕)に「歳寒くして松柏(しょうはく)の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る」とあります。

「厳寒の冬、ほかの木の葉がしぼみ落ちる時になって、はじめて松や栢(かしわ)の木がみどり色を変えないでいる」という意味です。

冬になって、他の木はどんどん葉が落ちていきますが、松・栢の木は何時までも緑を保っている。松・栢の木の値打ちは冬になって初めて分かるように、人の真価も艱難にあって初めて分かるということです。

ウルマンの青春の詩に、「青春とは人生のある時期をいうのではなく、心の様相をいう。
年は70であろうと16であろうと、その心の中の持ち方である」とあります。

90歳、年を重ねただけでは人は老いない、まだまだ頑張りたいという気持ち、生かされることへの感動と実感、空にきらめく星辰に対する不思議な感動等々、「90歳の青春」があってもおかしくない、と思う近頃です。残る人生、与えられたこれからの年数をどう生きるかが私の課題です。

まず私に必要なのは「和顔愛語」です。
西郷隆盛の座右の書といわれる江戸末期、佐藤一斎「言志四録」にありますが、
「春風をもって人に接し、秋霜(しゅうそう)をもって自らをつつしむ」
という言葉があります。春風のように暖かいオーラを出し、「和顔愛語」で人と親しくする。

世の中には、その人がいるだけでホットし安らぐ気持ちを与える人がおります。逆に、そばにいると何かひんやりと緊張させる人があります。

結局自分磨きになりますが、なんとか優しい温かさを放つ人になりたいものです。

菜根譚に、
「日、すでに暮れ、しかもなお烟霞絢爛(えんかけんれん)たり。歳まさに晩(く)れんとし、しかも、さらに橙橘芳馨(とうきつほうけい)たり。故に末路晩年には、君子さらに宜よろしく精神百倍すべし」とあります。

<訳 >
陽が沈んでも、夕映えは美しく輝いている。年の瀬が来ても、橙(だいだい)や橘(たちばな)はさらに芳しい。故に、晩年になってこそ、人は百倍の精神力を発揮すべきである。

年を取るとともに、いろいろと面倒になることが多くなりますが、「末路晩年には君子宜しく精神百倍すべし」と言い聞かせながら頑張っている昨今です。

バラの花を触っていればいつかその香りが移ってきます。本物の人物を何度も何度も勉強していれば、いつかはその人物から良い影響を受けるはずです。そう思って、昨今、海音寺潮五郎「西郷隆盛」、司馬遼太郎「坂本竜馬」、大森曹玄「山岡鉄舟」、山本兼一「命もいらず名もいらず(山岡鉄舟)」を日々順番に繰り返し読んでいます。生きている間、1mmで2mmでも魂を高めたいと願っています。

これからの人生どれだけ人々に役立つことができるか、これが私の課題です。

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