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2018年04月19日05:51

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中学生日記ー11 1959年(昭和34年)ジャー・ヒロ

 2月2日(月)

 きょうは朝から雨が降りそうなどんよりとくもった天気の日で、ぼくはカサを持っていった方がよいか、母に聞いた。すると母は、さっきラジオで聞いた天気予報によると、午後からは雨が降りはじめるということであった。ぼくはその言葉でカサを持っていくことに決めた。学校の途中の皆をみると、皆はあまりカサを持っていく人は少なく、これで雨が降ると気味がいいと思っていると、予報ははずれて、きょうはおしめり程度の雨が降ったくらいで、カサを持っていった者はだいぶ恥をかいた。


 2月3日(火)

 きょうは早く学校から帰り、ぼくが前からほしいほしいと思っていた、英語のじゅく語じてんを買いにいこうと思い、きょう早くホームルームを終り、すぐ帰ろうとすると、下山に見つかり、図書館に行こうと言われて行くと、30分ばかしねばってしまった。そして、しまったそろそろ帰ろうかなと図書館の外へ出ようとすると、ちょうどこっちへ来ようとした評議会の受持の白井先生がきた。ぼくは委員なので、しまったと思って、かくれようとしたが見つかり、白井先生に会議に出ろと言われた。そしてきょうも6時ごろの暗くなるまで残された。


 

 2月4日(水) 

 きょうは学校に行って、みんなと休みができるとスモウをやった。しかし、みんなとやってもなかなか力が出ず、よく負けた。そしてきょうは不調だなと思った。そして、どうして不調なのか考えてみた。するとありありと浮かんできたのが、2時間目の休みに2年5組の西村とやったスモウである。彼はひきょうな手段をもちいて行った。ぼくがやろうとすると注文をつけて、やり直しをして、そして少しでも有利な態勢にしようと考えて、その他にいろいろなことを考え、そしてぼくをやっつけようとした。ぼくはその時からだが崩れて弱くなったのだ。


 2月5日(木)

 きょうの放課後に理科部の化学の方があつまり、部会をひらいた。集まった人数はたったの5人で、1年の時に出しゃばっていた田中君は姿を見せなかった。来たのは、ぼくたちの組の者ばかりであった。その中にはスケタコもいた。そして白石先生は、みんなが集まったようなので口を開いた。そして今度理科部では学校で買った自動車を作ったり、こわしたりして勉強すると言った。そして、すぐぼくたちは古い自動車のところに寄ってみると、まったくぼろぼろで、とってはとれるし、前のをぐるぐる回さなくてはエンジンがかからない。


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