mixiユーザー(id:4597260)

2018年04月17日22:14

364 view

「バビロンの河」のほとりで相撲問題を考える〜【イントレランス】不寛容

〜私は伝統を重視しない。サニーはやはりオリジナル版で〜

さて,前回、昭和53年の歌謡曲をテーマに日記を書いたが、
今回、最初の掴みに同年の洋楽ヒット曲をひとつ紹介しよう。

ムードボニーM「バビロンの河」

これは、紀元前6世紀、新バビロニアに滅ぼされたユダ王国の住民が、
バビロン建設工事のため強制連行された悲しみを歌ったものだ。
http://www6.plala.or.jp/arabesque/candy_pop/bm_lyrics_and_translations.htm
以前、この曲を始めとして宗教をテーマにした洋楽を日記に書こうと思ったが、
底の浅いことを書いてもしても仕方がないのでやめた。

「バビロンの河」が流行っていた時、由紀さおりが
「 トーキョー・バビロン」という曲を歌っていたのを覚えている。
同じ年の9月リリースだが、これは「肖り」だな。
バビロンを巨大な都市として表現している。
http://j-lyric.net/artist/a00056f/l01d2b8.html

またユーミンも昭和60年のアルバム「 DA・DI・DA」で
「BABYLON」バビロン」
http://j-lyric.net/artist/a000c13/l00f5c4.html

目古代都市バビロン、やはりロマンを感じる。
1916年に公開されたアメリカ映画【イントレランス(宗教的不寛容)】
4つの物語が並行して描かれているが、その一つ「バビロニア」編の冒頭シーン。

高さ90メートル・奥行き1200メートルにも及ぶ巨大な城塞のセットを作った
私は、この映画を、20歳くらいの時、映画評論家田山 力哉の本で知り、
ぜひ見たいと思っていた。
その後、1980年代後半「ヤングジャンプ」の「栄光なき天才」でも
監督のD・W・グリフィスについて描かれた回があり、ますます興味を持った。

ビデオレンタルが普及した1989年頃、念願叶って、
借りてみることが出来たが、長すぎて途中で飽きたあせあせ
上映時間180分。ビデオが2本だったと思う。
バビロンの壮大なセットを見ただけで満足だった(右画像)。

今、もう著作権保護期間が過ぎて、彼の作品「国民の創生」
や「散りゆく花」がネットで見られる。
「国民の創生」は、南北戦争以降、奴隷から解放された黒人が
目に余る行為をし、それを阻止する団体としての
KKKを好意的に描いている。
フォト
当時からも「黒人差別」として上映が禁止になったという問題作だ。

「散りゆく花」は、イギリスを舞台に薄幸の少女と中国人の悲恋もの。
フォト
まぁ、チャップリンの作品も含め、サイレント時代の名作が
ネットで見られるようになったのは嬉しい。

手(パー)さて、本題というか、前置きが長くなった。
今月の大相撲の地方場所で、市長が土俵で挨拶中に倒れ、
救助に向かった女性に対し「土俵から降りてください」と
アナウンスして大顰蹙を受けたニュースがあった。
https://www.sankei.com/west/news/180405/wst1804050041-n1.html
その後も、地方巡業で、女性市長が土俵上で挨拶できなかったとか
「ちびっこ相撲」に女子児童が土俵に上がれないと報道されている。
これも、【イントレランス(不寛容】だな。

ボイスにも書いたが江戸時代の大相撲は、女相撲とか、
もっとショー的な相撲として、女性力士と盲目の男性との
取り組みというか、見世物があったという。
フォト

明治になって、そういう如何わしいモノを排除して
「国技」とか名乗ってきたわけだ。
権威の後付けという気もする。
相撲は、確かに古代は神事であっただろうが、
江戸時代の興行としての相撲は、もう神事とは無関係だったろう。
ルーツを言えば、レスリングも古代オリンピックでは、
ゼウスに捧げる神事だったし。
競技者は無論、観客も女性は入れなかった。

男性の競技を権威づけさせるために、
女性選手を同じ場所に上がらせない(男性選手と一緒にしない)、
というのは、力道山もやったし、
(プロレス雑誌に女子レスラーの記事を載せることを許さない)、
ニューヨークのプロレス団体WWWF(現WWE)は、
本拠地MSGでは、1970年代まで、女子、覆面、ミゼット
といった色物は出場禁止だった。
王者はブルーノサンマルチノで、私は格調高いと感じてはいたが。
フォト

今は中央画像のようなことになっているけれど(^^:。
左の選手は日本人のASUKA。アメリカでもかなりの人気らしい。
別に、プロレスを見習え!とは言わないが、
相撲界は、あまりに考えが硬直しすぎている。
今は、ただ「お色気の女相撲はやりません」でOKだろ?
変に宗教を絡ませ、「女人禁制」は、世の趨勢に反している。
いや、単に、いちプロ格闘団体なら、なにをやっても良い。
それこそ「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」ものなんでも。
でも、日本相撲協会は「公益財団法人」なのだから、今の「公」に
反することは控えるべき!

それに今、東京都知事も女性だが、将来、女性が
総理大臣になる可能性もある。
その時、内閣総理大臣杯授与はどうなる?

だいたい、私は「伝統」とか「習慣」に無頓着だ。
子供の頃の環境(家庭環境、地域、時代)が大きく関係している。
世田谷区砧地域は、リベラルな土地柄で、神社仏閣という
古いものはなく、特に私が通っていた小学校は新設校だったので、
それまでのプールに赤フンとか、
運動会は専用の足袋を穿く風習は廃していた。
日本的な伝統とか風習は古臭く、無くすことが良いことである、
という雰囲気であった。

それは中学に入った玉川地区は、さらにそういう傾向があった。
前にも度々書いたが、制服廃止、髪型自由、まぁあまりに
自由過ぎてタガが外れ、
後に修正(制服復活)したが。

それに引き換え、世田谷地域は、制服があったし、神社仏閣は多いし、
400年続いたボロ市とか、■士館とか、上下関係が
厳しい封建的な学校もあった。

まぁ、相撲の伝統擁護をしているやくみつるは、
フォト
私より2級下で、玉川の隣町、桜新町出身だから
ひとそれぞれ意見も違うだろうけれど。

でも、やくは、中学の時から横浜の桐蔭学園って
むしろ、地元玉川の空気を感じていなかったのかもしれん。(^^:

しかし、制服のYシャツはかったるいね。
私は、高校の時、学ランの下は、プルオーバーのシャツを
来ていた。

↓こんなyシャツ、最初から着なければ、名前を記入しなければ
なんの効果もないよ!(苦笑)
位置情報■ワイシャツの裾に大きな名前欄… 中に入れざるを得ない画期的な制服に子どもドン
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=258&from=diary&id=5074883


手(パー)さて!ボニーMの話に戻って、
他に「ラスプーチン」とかカバー曲で「サニー」があるが
やはりボビー・ヘブのオリジナルの方がいいな。1966年リリース
私は小学生だったが、どこかで聞いていた。




車(セダン)サニーと言えば、日産の車「サニー」もある。
これも、ボビー・ヘブの曲を肖って付けたのかと思ったら、
WIKIには、1965年12月 - 日産自動車として、
初の新型車名公募キャンペーンを実施、翌1966年2月、
約800万通の応募からサニーが決定された。とある。
これが正しければ、ボビー・ヘブとは関係なく名付けられたようだ。

ペン横山光輝の少女漫画「魔法使いサリー」
(1966年10月号より連載)も
当初は、「サニー」だった。
フォト







20 40

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年04月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930