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2018年04月05日23:33

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「ティンパニストかく語りき」(近藤高顕著)読了

著者の近藤高顕さんは、新日本フィルハーモニー交響楽団(新日フィル)の首席ティンパニスト。私にとっては、定期会員である紀尾井ホール室内管弦楽団のメンバーとして親しんでいる。

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本書は、そのティンパニ人生を縦横無尽に語っている。もともとは「200CD…」シリーズに寄稿した文章などを中心に書き加えた新稿とともに再構成したもの。ティンパニ奏者の目から見た作曲技法の秘密や楽器機構の変遷、指揮者の個性を語りながら、ティンパニという楽器の際立った立ち位置を雄弁に語っていて興味は尽きない。

近藤さんは、東京藝術大学卒業後、ドイツ政府給費留学生としてベルリン芸術大学でベルリン・フィルの元首席奏者フォーグラーに師事している。ドイツ語も覚束ない著者が単身ドイツに飛び込んで学び、様々な同僚、友人たちとの知己を得て、その縁でベルリン・フィルを初めとする海外一流オケの来日公演などにエキストラとして参加した時の体験など、活き活きとした一大青春記ともなっていて読んでいて痛快。

私自身は、フォーグラーの大ファンなので、本書で近藤さんがそのフォーグラーに師事したと知ってなるほどと胸に落ちるものがあって、そして、とてもうれしくなった。

オスヴァルト・フォーグラーは、コンマスのミシェル・シュヴァルベとともに、カラヤンのベルリン・フィル改革を支えた人。華麗な撥さばきと切れのあるサウンドは、70年代当時、ほんとうに新鮮な魅力でした。それはそれまでの『ドイツの伝統からすると“異色で革新的”な奏法であったことは間違いなく、従来は『比較的大きめの頭のバチを使い、ひたすら重厚な音色感』だったが、『これに対してフォーグラーの演奏スタイルは、視覚的にもシャープで音のキレが良く、音色もとても明るい音』だった。今日、乾いた硬いマレットによるドライな連打や、豪快にトゥッティの前に出る一撃というものは半ば当たり前になったが、その新しい時代を告げたのがカラヤンでありフォーグラーだった。

そのひとつの証しが、独自のバチ作り。著者が師からさっそく教えられたのがバチの自作で、柄の素材選択からマレット(バチの頭)などすべて手作りで、その音色への細かい思慮とこだわりと打法の新しさは尋常ならざるものがあったようだ。曲ごとどころかフレーズごとにそれらを頻繁に持ち替えるなど多岐にわたるようになり、時代を画するものだったことは間違いない。

従来のティンパニは、リズム楽器というよりは低音増強という役割が強く、コントラバスなど低域に芯を与えたり暗い雰囲気を醸すことなどが中心で、その音色は低音域に溶解して判別しにくいが、フォーグラーのティンパニは、一躍、ソロ楽器としての大きな音楽的役割を積極的に担い、グランカッサなど他の打楽器群との連携・協調も重視している。ワグナーやマーラーなどのロマン派音楽のみならず、ベートーヴェンなどの古典派の音楽のイメージを一変させ、音楽解釈をとてつもなく多様化して豊かにしたのだと思う。

面白いのは、ティンパニストから見た指揮者の個性やそれにまつわるエピソードの数々。

ネタバレになってしまうが、著者が新日フィルに入団したころに多く客演した朝比奈隆から多くを学んだとかで、面白いエピソードをいくつも紹介している。朝比奈はかなりアバウトな指示が本領のひとで、どう叩けばよいのかと指示を仰いだら『あんたがここぞと思ったところでバンッ!と叩けばよろしい』と言ったとか(「マエストロ朝比奈との想い出」)。対照的に明快過ぎるほどのバトンさばきの小澤征爾と対峙するベルリン・フィルは『まったく彼の棒に従わない』(「指揮者の棒についていくだけでは音楽にはならない」)。グランカッサのエキストラで参加しいきなりの本番となったチェルビダッケとの緊張の一瞬や、曲を間違えていた“カラヤンの振り違い事件”などオモシロネタ満載。

ティンパニというのは、一言居士。

本書もあれこれ長々とした話しはなしにオーケストラというものを存分に面白おかしく語っていて内容も盛りだくさんなのにキレが良い。

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ティンパニストかく語りき
“叩き上げ”オーケストラ人生
近藤高顕 著
学研プラス
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