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2018年03月31日17:07

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宇宙SFの「三要素」

 日記やつぶやきを眺めていたら、「ガンダムがない」という声が大きかった。

最高に面白い!宇宙が舞台のSFアニメランキング
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=45&from=diary&id=5049277

 ファーストガンダムは、確かに堂々たる「宇宙SF」で、当時のTVアニメとしては可能な限りハードSFを目指した作品と思っている。

 その後のガンダムはそれ自体が一ジャンルという性格を強めていき、あまり「宇宙SF」を意識しなくなっていったように思う。最近の「鉄血のオルフェンズ」も、火星やスペースコロニーは出てきても、それは現実の紛争地帯を直接想起させる描き方であって、舞台が火星である必然性はほぼない。
 それが悪いと言ってる訳ではないが、ガンダムは元々、現実の宇宙をロボットアニメの中に取り入れようとした作品であることが忘れられているように思う。

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 そんな訳で、「宇宙をどう描くか」という観点から「宇宙SFアニメ」について少し考えてみた。

 ランキングはどうやらロボットアニメを除外しているようだが、この観点からはロボットが主役かどうかはあまり関係がない。ロボットが出る作品も出ない作品も統一的な視点で見る事が必要になってくる。


「SFの宇宙」はどう描かれてきたか。基本的には「現実の宇宙」と「ファンタジーとしての宇宙」に二分類される。もちろんこの関係は明確に分けられるものではないが、大体の傾向としてはそういえる。


 1stガンダムは当時のSFアニメでは最も「現実より」の作品だった。
 一方、ランキング1位の銀河鉄道999は、「ファンタジーとしての宇宙」を最も本格的に描いたTVアニメである、という印象がある。
 作中には火星やタイタン、アンドロメダ銀河(当時は「星雲」)が出てくるが、現実の天体というより、ファンタジーの舞台である。名前は実在の惑星でも、舞台としての性格はスターウォーズの惑星に近い。

 そういえば2位のヤマトにも、火星、タイタン、木星、冥王星等が出てくる。こちらの方は、999より「現実に寄せた」描き方だと思う。企画段階でSF作家の豊田有恒が加わっていた事もあって、活字SF的な理屈の通し方を感じる。
 以前スターチャンネルでヤマトのTV版を1作目から3作目まで通して見て感じた事だが、特に第一作に最もその性格が濃厚で、二作目三作目になるにつれて舞台の「現実感」がなくなっていき、「異世界ファンタジー」的性格が次第に強くなっていく)。
 映画の方では、最初から、そういう「理屈の通し方」はほとんど感じられない。ヤマトは一般的には劇場版のイメージで語られているので、これは不幸な事だと思う。

 つまり最初のヤマトはかなり独創的な「宇宙SF」になり得ているのだが、その後のシリーズ展開は、ほぼスターウォーズの影響を直接受けて「ファンタジー宇宙の戦争ロマン」という性格を強めていったと思う。

 ヤマトが「ファンタジー寄り」に展開していったのに対して、ヤマト的な世界観をさらに「現実寄り」に向けたのがファーストガンダムだったと言える。だが、その後のサンライズ作品の展開は、やはりスターウォーズの影響を受けて進んで行ったように思われる。
(そう考えると、SFアニメの歴史においてスターウォーズの影響はあまりに大きく、それとは異質な方向に進む事が困難だったという事情がうかがえる)


「銀河鉄道999」は、そうした「スターウォーズ的宇宙」とはまた別な「ファンタジー宇宙」を構築する事に成功した作品として重要だと思う。
 以後、同じような方向性で成功した作品がほとんど現れないので、特にそう感じる。

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 こうした事を考えるうちに、「宇宙SFに重要な要素」がいくつか頭に浮かんできた。

 第一に、「宇宙の広大さ」。ヤマト第一作は往復1年の航行という形で、これを描こうとした。以後、こうした宇宙空間の広大な拡がりを、ストーリーの中で表現しようとしたメジャーな作品はほとんどない。ハリウッド映画ですら少ない。近作でいうと「インターステラー」だけが思い当たる。

 第二に「多様性」。「銀河鉄道999」には、これがある。宇宙には無数の世界があり、多種多様な知的種族・文明が存在する。この多様性は、宇宙の広大さから必然的に生じてくるものだ。どこの惑星に行っても同じような人間が住んでいて現代と似た社会がある作品は、やはり宇宙SF「らしさ」が乏しいと感じる。

 第三に、「異質性」。これは第二から当然生まれてくる。多種多様な無数の生命・文明が存在すれば、その中には想像もつかないほど地球とは異質なものが存在するはずだし、それを描いてこそ宇宙SFだと言いたくなる。

 つまりは、「スタートレック」のナレーションである。
「宇宙、それは人類に残された最後の開拓地である。 そこには人類の想像を絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない」

 確かに、最初の「スタートレック」には上記三要素が全て存在する。

 エンタープライズ号の航海は5年間の長期に亘る。ワープスピードをもってしても、宇宙の様々な星々をめぐるにはこれだけの時間を必要とする。これが「広大さ」の要素だ。

「多様性」についてはいうまでもない。エンタープライズ号が訪れる世界は多種多様で、同じような文明・文化ばかりが出てくるという事がない。

「異質性」、これも確かにある。最初のSTには珪素生命もいれば、人間よりも遥かに高度な知性を持つエネルギー生物もいる。つまり現実の民族・国家のアナロジーで作られたキャラクターでない、非人類的存在をちゃんと描こうとした。

 これら三要素が備わっているからこそ、「スタートレック」は宇宙SFとして優れており、現在でも魅力的なのであると私には感じられる。
(ただし私は、最初作られたオリジナル・シリーズ以降の膨大な作品はごく断片的にしか見ておらず、その意味でSTを総体として評価する資格は持たない)

 こうしてみると、「999」にはSTに近い形で「三要素」が含まれている事が分かる。「広大さ」と「多様性」の要素は明らかにある。「異質さ」はそれに比べて目立たないが、雑誌連載の記憶を思い出してみると、この要素も確かに無視されていなかったと思う。(原作もアニメも手元になく、記憶に頼るしかない状態なので確実には言えないのだけれど)


 そういうわけで、優れた宇宙SFには、多くの場合これら「三要素」が存在すると私は思う。
現代においても宇宙SFを作るには、この三要素を重視する事が望ましいと考える。願わくば「SFアニメ」を評価する際には、こうした点を考慮に入れてもらいたいものだと思う。
  
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 ここまで書いて気づいた。1stガンダムには「三要素」が極めて希薄だ。。
 舞台は月軌道の範囲を離れないし、登場人物はみな人間で、文化もほとんど現代社会と変わらない。
 にも関わらずガンダムは優れた「宇宙SF」である事は間違いない。とすると、それ以外の重要な要素があるわけだ。
 もちろんそれは「科学性」である。現実にある宇宙を現実に近い形で描写し、ストーリーに取り入れようとした。これが1stガンダムの志であり、以後の「ジャンルとしてのガンダム」からは消えていった性格である。

 とりたてて宇宙SFに思い入れやこだわりがない今の一般的な視聴者には、この第四の要素が最も見えやすいかもしれない。しかし、そこだけを見ていると宇宙SFの特に魅力的な部分を取り落とすことになる。

 宇宙を「現実的に描く」と、「三要素」は必然的に失われていく。現実の人類は月までしか行った事がなく、それは往復一週間の行程にすぎない。舞台は過去半世紀の間代わり映えしない宇宙船や宇宙ステーションで、関わる人たちも、軍事と科学技術者と官僚ばかりときわめて同質的だ。
 現実の宇宙開発には、宇宙SFの「広大性」「多様性」「異質性」がいずれも存在しないのだ。改めて考えると、驚くべき事である。

 そうすると、宇宙SFの「科学性」は「広大性」「多様性」「異質性」とは相容れないものなのだろうか。
つまり、「三要素」は「ファンタジー宇宙SFの特徴」であって、「現実的宇宙SF」が持つ特徴ではない、と?

 ここまで話題にした作品だけから考えると、そうなるようにも見える。しかしそれは標本の偏りの結果そうなっただけであって、もっと多くの作品を考慮に入れて考えれば、おのずと別の結論が出る気がする。……


 今はまだ考えがまとまらないし、あまり偶発的な話題に時間を費やす訳にもいかない。不充分であるけれど、一応ここで終わりということにする。
 さらに考えを深めるのは他日を期したい。
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