新日本プロレスの圧勝に終わるかと思われた全日本プロレスとの引き抜き抗争&興行戦争でしたが、81年12月13日、全日本プロレスの蔵前国技館に新日本最強外国人レスラーであったスタン・ハンセンが乱入しました。
新日本の強さの象徴でもあったハンセンの全日本移籍で引き抜き抗争に関しては完全に新日本の逆転負けとなっています。
82年は前年デビューしたタイガーマスクが元日の後楽園ホールで、藤波のヘビー級転向により返上されたWWFジュニア・ヘビー級王座をダイナマイト・キッドとの王座決定戦で獲得。
タイガーマスクは一度は負傷の為タイトルを返上しますが、5月25日、静岡産業館(ツインメッセ静岡)でレス・ソントンを破りNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を獲得、翌5月26日には大阪府立体育会館でブラック・タイガーに奪われていたWWFジュニア王座も奪回、ジュニア2冠王として君臨し、前年以上のブームを巻き起こします。
この年猪木は、右膝半月板損傷の為、4月1日、蔵前国技館で決勝進出が確定していながら第5回MSGシリーズ優勝決定戦を欠場。
その後に予定していたドバイ遠征、4月21日、蔵前での難民義援金募集興行でのジェシー・ベンチュラ戦には出場しましたが、半月板の手術の為ビッグ・ファイト・シリーズの序盤4大会出ただけで欠場。
新日本のフロントはシリーズに特別参加していたハルク・ホーガンをベビーターンさせ日本側の助っ人として起用しました。
6月18日、サマー・ファイト・シリーズ開幕戦の蔵前で猪木はスコット・マギーを僅か1分37秒、延髄斬りからの体固めで破り復帰しましたが、短時間での決着はスタミナのなさを露呈した感は否定出来ませんでした。
6月25日、札幌中島体育センターで猪木はベビーターンしたホーガンと初タッグを結成、アンドレ・ザ・ジャイアント、カネック組と両チームフェンスアウトの引き分け。
このサマー・ファイト・シリーズは開幕戦から最終戦の7月8日、横須賀市総合体育会館まで全19戦が満員、超満員発表となり、ハンセンを失っても興行人気、テレビ視聴率は低下せず。
しかし、7月16日、中間市体育文化センターで開幕のサマー・ファイト・シリーズ2を猪木は内臓疾患を理由に全休。後に糖尿病であったことが判明しました。
8月27日、後楽園ホールで開幕したブラディ・ファイト・シリーズで復帰した猪木はホーガンと組んでサージェント・スローター、エド・レスリー(ブルータス・ビーフケーキ)組を撃破し徐々にコンディションを上げていきました。
10月8日、後楽園ホールでの闘魂シリーズ開幕戦に4月のドバイ遠征の後メキシコに遠征していた長州が凱旋帰国。
凱旋試合となる開幕戦は猪木、藤波と組んでアブドーラ・ザ・ブッチャー、バッドニュース・アレン、SDジョーンズ組というカードが組まれました。
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