プロデビュー前は巨人入りが有力視されていたのが、いろいろとあった結果、横浜入りすることになった村田修一。
横浜時代「そもそも自分は巨人が好きではない(ので横浜入りに満足している)」
→巨人FA入団「(巨人に行きたいという)気持ちを押し殺して(横浜に)入った」
男・村田、巨人3軍との交流戦に闘志メラメラ「古巣という感覚は僕にはない」
http://news.livedoor.com/article/detail/14422008/
何だかなぁと。横浜ファンからの村田待望論が薄いのは、もちろん宮崎敏郎で三塁が埋まっているからというのが一番大きいのだけれども、「気持ちを押し殺して」云々も影響しているよなと。
>反逆のカリスマ・足利尊氏の源流の地で、“男・村田”が再進撃のノロシを上げた
得宗家の身内同然だったのが、いきなり後醍醐天皇に付いて幕府を滅ぼして、後醍醐天皇が失政したと見ると、持明院の皇統を担いで幕府を開いて、幕府内の内ゲバで身に危険が及ぶと、また後醍醐天皇に降伏して、内ゲバが収まったら、再び持明院統を担ぐ。ノンポリの権化である尊氏に見立てられる男・村田、何とも言えない気持ちになる。
それはそれとして、当初「マグマのように沸き立つ闘争心」を「マグロのように」と見間違えていた件。いや、多少の違和感はあったのだけれども、記事を書いてるのは笹森倫だし、そういうこともあるのかなと。
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