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2018年02月15日13:44

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旧友たちにあてたもの・日本社会の問題は根が深いと思います

 (以下、東V=VYS。昔、僕もいた福祉会)
 小中学校現場は詰込み教育時代も、ゆとり時代も、今も児童間の交友の仕方で悩んでいるね。合唱活動などを通しての交友を模索している所もあるが、何かを一緒にやる事は必ず嫌いな子がいるものだし、又、そうした所で交友は普通はできない事が多い。要は「自分の意志の伝達と、それへの受け止め方」なのだが、先生や父母もそれができない例も多いからね。児童のその件どころではないと。児童たちが学齢前に育ってきた家庭や地域でも、夫婦や近隣間もそれができていない例が非常に多いからね。例えば、自分の気持を配偶者や家族含む他人に伝えられないとか、伝える人がいても、叩いてしまうとか。それらは本当は学校で扱うような問題ではなく、やれば、やるほど、悪くなっている.感じかもしれないけれどね。無論、それらは東Vの根本問題でもあったし、その後に僕が行った教会関係が潰れつつあった理由の一つでもあった。今の僕はそれは日本社会に根差す歴史的な問題だと見ている。
 日本では元々異民族との交流が少なかった上に、徳川幕藩の封建社会が長く続いたため、自分の意志の伝達の訓練がなされていなかった。封建時代はお上の言う事に従えば良かったから。構成員は上べだけ仲良くしていて。自分の意志を述べる人は江戸時代では許されなかった。現代になり、個人主体の社会に変わっても、長く続いたその癖は少しずつしか変わらないわけ。東Vでも、「一緒に活動して交友しよう」という気風が強かった。でも、相互理解もまともにまだできていない人たちと共同活動はできるかね。又、例えば、一緒にハンセン氏病の事を話した所で、医学生ではあるまいし、各人の人柄なんて出なかったよね。東Vがしてきた事も、目新しい事ではなく、従来の日本的なやり方を踏襲していたに過ぎないと。社会変革が出来なかったわけだと。又、手話が必要な聴障者とか、介護が必要な脳性まひ者の問題も、従来の日本的なやり方ではどうにもならない。東Vとして関われなかったわけだよね。僕は元々「一緒に何かをして交友する」というやり方に疑問を持っていたが、フェイスブックで外国人たちとも付き合い、簡単なものながら、中国語や英語も書いている内に日本的なやり方に更に疑問を持ち、又、東Vの問題の根もそのような事だと気が付いたわけですね。但し、現代は社会が複雑化しているから、江戸時代みたいに「上べだけ仲良く」では済まされなくなっていますが。又、自分の意志も伝え合えず、上べだけ仲良くの関係を作っても、何の為にもなりませんが。甘え合って、狂うのではないかと。僕の行った教会関係もそうでしたら。
 とにかく、昔の因縁が判り、僕の気が晴れたと同時に、日本社会の歴史的因縁の深さも感じて、新たに考え込んでいるわけです。江戸時代半ばに平賀源内、幕末あたりに福沢諭吉が悩んだ事にぶつかったわけだから。

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