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2017年12月09日16:36

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「時には母のない子のように」の歌を思い出して

  その歌は1969年に作られた。少女特有の感傷をうたったもので、時にはそうなってみたいが、そうなったら、好きな男性ができても愛の告白はできない、という落ちで終わっている。当時の僕は中学2年だったが、同級生の一女性が大変好み、その人は言語障碍もなかったため、その歌の話をいつもペラペラ話していたから、よく覚えている。当時の僕も「感傷的な歌だな」と思ったものだ。
  しかし、卒業後、色んな人と出会ったり、話を聞いたり、学んだりしている内に、その歌は差別問題も込めた問題提起の歌である事に気が付いた。今はシングル親は多いが、当時は大変珍しく、そのような人は特に女性は恋愛や結婚で著しく差別されていたから。勿論、各種障碍者や元患者にも当てはまる。更には、部落関係、アイヌ、琉球、在日韓国系にも当てはまる問題である。
  それらも本当は日本国憲法に書いてある「基本的人権」の意識を日本人全部が徹底させれば、解決できるはずだが、なかなか徹底しておらず、今も各種差別が根強く残っているのが現実である。しかも、各種差別とも、微妙に性質が違う事がこれまた厄介である。相手の人に何らかの差別があれば、結婚は相手の差別状況を受け入れる事でもあるから、特に女性は好きな人に愛を打ち明けにくいと聞いている。でも、堂々と打ち明ける被差別女性もいるから、これまた話は複雑になるわけである。
  それらの解決策だが、憲法の基本的人権や(経済損も伴う場合は)各種年金や手当の勉強と共に、例えば、アイヌ文化や琉球文化などを徹底的に学び、普通の日本人にも見られない優れた面も見て、敬意を払っていく事も大切かと思われる。「法の下の平等」とは、民族文化にも言えると。日本文化が日本でトップである訳てもなく、アイヌ、琉球、韓国系と各文化は平等に優れているという見方をしない限りは解決できないのではないかと。
  因みに、「時には母のない子のように」が作られた69年は末期とは言え、まだ全学連の気風が強く、憲法や差別の事にも関心が向いていた時代だった。その頃の気風を復活させ、前進もさせて、差別を消す社会を作りたいものである。
  (知ってもらう事は、マイノリティの人たちにとっては非常に嬉しいはずだし、心も打ちとける。独身男女なら、愛の確率も高まるわけである)
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