mixiユーザー(id:17922359)

2017年11月02日09:53

107 view

多摩全生園の見事な菊花展・文芸誌投稿

 十一月は菊の季節である。それに因んだお話をしたい。
 1977年から85年まで僕は東村山市にある国立ハンセン氏病療養所の多磨全生園に、そこに住む元患者の伊藤まつさんというおばあさんとの交友の為に行っていた。十一月の文化の日のあたりに、そこでも文化祭が行なわれるため、まつさんに招待される形で何回か行った。まつさんは絵や短歌を創っていたので、その展示もあったが、僕が印象に残っているのはかなりの元患者さんが一年掛けて育て上げた菊の花の展覧会・品評会である。実に様々な菊の花があったのを覚えている。大輪の菊。管物状の花の菊。小さい花が一つの草に何十個も付いた菊。色も様々。黄色もあれば、紫もある。赤に近いオレンジ色も、白も。「見事!」と言うしかなかった。
 菊は冬から一年近く掛けて育てるわけである。毎日の水やりはもちろん、適量の肥料を与えたり、害虫から守る事や、無駄な枝葉の切り落としと非常に手間を掛けなければ、見事な菊の花にはならないわけである。それ故に、作った元患者さんたちの「根気」も察せられる。それぞれが感動の作品である。
 若い時の僕も、例えば、東村山市とか多摩地区の菊花品評会や菊花展に一般の人たちと一緒に出品できないだろうかと思った。今の僕はもっと大きく、その様子をテレビ中継して、日本全国に報道すれば、非常に素晴らしいと思っている。多磨全生園に行けるような人たちは地域的に限られているわけだし、それをカバーする事もマスコミの仕事なのだから。この文芸誌の皆様も、パソコンなどをお持ちの方は「多磨全生園」と検索して、調べてみて下さい。
 尚、伊藤まつさんの事は改めて書く事もあるでしょう。
 
  ネット関係への追伸ですが、全生園の菊花展の画像を検索しましたが、それは見つかりませんでした。でも、時期外れですが、全生園の見事な桜はあったので、皆様にもこれからお見せします。昔から全生園の元患者さんたちは東村山に住む住民と活発に交流していたようですが、今は更に盛んに交流しています。ハンセン氏病の問題を受け止めるにしても、近所付き合いの一環としてやれなければまともな理解はできないわけですね。作家の遠藤周作氏が著作の中で遠方の人が慰問する様子を淡々と描いていますが、「慰問」という言葉で表される通り、遠くから付き合いに行くと、身近には感じられないから、不自然な付き合いしかできず、続かないわけです。何も元患者だけでなく、僕の所に来られるヘルパーさんも近所でないと続かないわけです。往復の時間的なロスの他、遠くだと僕の事を身近に思ってもらえず、介護にもならないと。地域性は大切ですね。           

7 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する