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2017年10月27日20:44

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旅行記@秋の京都遠征《6》妙心寺

半年前、ゴールデンウィーク中の訪問時には、思わぬアクシデント(?)により拝観出来なかったお寺にリベンジ!
法金剛院に続いて、第二弾は、妙心寺だ。

前回訪問時は、ちょうど法堂(重文)が法要に使用されてるとかで、見学不可。もう一つの見学ポイントである浴室(こちらも重文)だけなら案内出来ると言われたのだけれども、わしがいちばん見たかった国宝の梵鐘は法堂の中に安置されているので、「じゃあ今回は結構です、また来ます」と断って、その時は立ち去ったのだった。
そうして言葉通り、今回またやって来たわけm(__)m

前回は北門の方から境内にアクセスしたが、今回は法金剛院から歩いて5分ちょっとで着く南門(重文)↓の方から広大な境内へ。
フォト
三門(重文)↓などの主な建造物は、前回訪問時にも見学してたので、今回はほとんどスルーする感じで。
フォト
さっさと方丈の入口のところにある拝観受付にやって来た。

今回は、予期せぬ法要などは行われておらず、普通に拝観可能ということで、拝観料を支払って、案内の時間が来るのを待った。
そう、妙心寺の拝観は、決められたコース(法堂→浴室)を、決められた時間(毎時20分置き)に、お寺の方が案内して下さるというシステム。
わしが窓口へ拝観を申し込んだ直前に、前の回の見学希望者たちが拝観をスタートさせたばかりで、わしはほぼまるまる20分、ベンチに腰掛けて待っていたのだが、わしが待ってる間に、あれよあれよと人が集まり、次の回の案内が始まる時間には、ざっと20人ばかりの人が集まっていた。
彼ら《同志》たちと、念願の見学をスタート!

まずは、方丈の隣に建つ法堂↓の中に案内される。
フォト
案内してくれたのは、まだ若い(おそらくアラサー?)女性だったが、解説はよどみなく音吐朗々、なかなかの名調子だった。
法堂の中の主な見学ポイントは2つ、一つは狩野探幽の手になる巨大な天井画、雲龍図だ!
描かれた当時から全く修理の手も入っていないという、大迫力の名画。見る角度によって、天に上って行く様(昇り龍)にも、天から下ってくる様(下り龍)にも見えるという、不思議な視覚効果もあった。構想に3年を費やし、制作には5年をかけて、大絵師・探幽が計8年を捧げた渾身の力作だ。一見の価値はある♪

そして法堂内のもう一つの見学ポイント。
これが、わしがいちばん拝見したかった国宝の梵鐘である♪
「戊戌(つちのえいぬ)年」つまり西暦698年にあたる年の銘文がある、日本最古の紀年銘鐘である。昭和40年代まで(正確な年を解説で教えてくれたのだが、失念したm(__)m)現役で鐘楼に掛かり、音を響かせていたらしいが、いまは破損個所も見られるようになり、現役を引退。法堂の一隅に安置され、こうして拝観者に披露されているというわけだ。
現役時代の鐘の音を録音した音源も聞かせてもらったのだが、気のせいか、こしきゆかしき音色だった気がする。。まあ、気のせいか(;´∀`)



法堂を出て、もう1件の見学ポイント・浴室↓へ。
フォトフォト
こちらは、室内も写真撮影自由だったので、いろいろと撮って来た。
フォトフォト
この浴室、通称を「明智風呂」という。明智光秀からとった名だ。
光秀の叔父が妙心寺の高僧だったようで、光秀は生前、かなりの額を当寺に寄進していたようだ。光秀が山崎の合戦で討たれたあと、叔父の密宗和尚は、その寄進の一部で浴室を建て、光秀の追善供養を行ったのだという。
浴室という形にしたのは、反逆者・光秀の供養は大っぴらには出来ないため、世を憚ってのことだったようだ。
フォトフォト
風呂といっても、現代のお風呂とは違って、いわゆる蒸し風呂。
この建物が作られた江戸の初め頃から、多くの僧侶や高貴な方々が、ここで汗を流されたのだろう。



いや、リベンジに伺った甲斐のある、充実した見学が出来たと思うm(__)m

つづく。
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