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2017年09月28日23:51

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オーケストラの音は誰のもの? 紀尾井ホール室内管弦楽団のモーツァルト

紀尾井ホール室内管弦楽団の定期演奏会。とても贅沢で実に楽しいコンサートでした。

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何しろウィーン・フィル、バイエルン放送響、パリ管のコンマスがそろい踏み。そして公演の後には、楽団員とパトロンとの懇親会が催されました。懇親会はいつもながら楽しいものでしたが、前回までからすればとても開放的な雰囲気でびっくりするほど率直な話しも聞けました。

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プログラム最初の曲は、ファゴット協奏曲。ソロは今年度から団員に加わった福士マリ子さん。

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ファゴット協奏曲は意外に聴く機会が少なく、かつてはベーム(ウィーン・フィル)、カラヤン(ベルリン・フィル)でよく耳にしましたが、私自身は小澤/水戸室内管のCDを愛聴しています。そのCDであっても工藤重典のフルート協奏曲、宮本文昭のシュトラウス/オーボエ協奏曲の間にはさまれてダーグ・イエンセンによるこの曲はちょっと地味で埋没しがち。福士さん自身、パーティでのスピーチでも「なかなかソロとして立つ機会が少なくて、演奏できて幸せ」と仰っていましたが、こういう風にハイライトがあたることが少ない楽器です。

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福士さんのファゴットは、前回の定期で聴きましたがとても存在感があって飴色の艶やかな温かみのある音色がしばしばアンサンブルから抜け出てくるところがあります。ヴァイイオリニストであってもソリストとして立ち慣れている人は、若干、ピッチを上にずらしてソロとして浮き立つテクニックを使いますが、コンサートマスターがソロをとる場合はもっとアンサンブルとの調和を優先させることが多いようです。しかも指揮者は、モーツァルト本場のウィーン・フィルのコンマスです。そういうこともあって福士さんはちょっと緊張気味だったのか埋没しがちな演奏。もっと本来の伸び伸びと弾けた演奏であってもよかったような気がします。それでもカデンツァなど見事。特に第二楽章のカデンツァをきっかけに吹っ切れたのか後半は自身が演奏を楽しんでいるようで、聴いているこちらもとても幸せな気分になりました。


「プラハ」交響曲は、『フィガロの結婚』のプラハ公演において、オペラ開演に先だって初演されたもの。モーツァルトの傑作オペラ『フィガロの結婚』は、ウィーンではそれほど評判になりませんでしたがプラハでは大人気となり、モーツァルトはプラハから招待を受けて自ら指揮をとります。この交響曲は、その際ににプラハ現地で完成された早書きの曲ですが、意気揚々たるモーツァルトの晴れ晴れとした笑顔が見えるような曲です。

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予習のためにと、この日の午前中にベーム/ウィーン・フィルを聴いてみたのですが、テンポも遅くてちょっと古くさい演奏です。この盤の39番は大好きな演奏ですが、こちらの38番はベームとウィーン・フィルの保守的なところが出てしまいます。

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本来、私が好きな演奏は、ビーチャム盤。録音は古いですが、プラハの民衆に歓呼で迎えられたモーツァルトにふさわしい、進取の精神と慶祝慶賀の雰囲気に溢れた演奏となっています。モーツァルトに定評があったビーチャムの集大成ともいうべき録音で、自ら創設したロイヤル・フィルにはあのデニス・ブレインも参加していたのです。

この曲は、そういうアンチ・ウィーンみたいなところもあるのでしょうか、紀尾井ホール室内管の演奏は、ホーネックさんの指揮にもかかわらず、やはり、伝統的なウィーン風というよりはノンビブラートを多用した新世代の溌剌とした演奏でした。現代オケの規律が整ったなかに個々人の自由な個性がスパイスのように効いた現代的な演奏。ここでは、むしろコンマスのバラホフスキーさんの統率が際立っていました。


後半は、それが一変してしまいます。

このディベルティメントは、モーツァルトがまだザルツブルクで宮廷音楽家として隷属していた若い頃に、ザルツブルク大司教を祖にもつ名家ロドロン伯爵の夫人アントニアのために作曲されたもの。この夫人の弟アルコ伯爵は「You're fired!」とばかりにモーツアルトの尻を蹴って解雇した人物として歴史に名を残します。以後、モーツァルトは望み通りフリーの作曲家としてウィーンに定住することになるのです。

そういうエピソードからすれば皮肉なことですが、後半のこの曲の演奏はほんとうに見事なまでに伝統的なウィーン・フィルの美質を歌い上げたものでした。前半との違いは、2台のコントラバスのトップが吉田秀さんから河原泰則さんに交代したこともありますが、大きな違いはホーネックさんが指揮台から降りてコンサートマスターになったこと。ヴァイオリンの席に、ウィーン・フィル、バイエルン放送響のコンマスが並び、パリ管の副コンサートマスターの千々岩さんも加わってのそろい踏みというのは見ているだけで壮観です。

指揮者無しとなったオーケストラですが、はるかに有機的な融合があって濃厚なまでのウィーンの(あるいはウィーン・フィルの)音がします。楽団員全員に《伝統》としか呼びようのない確固たるモーツァルト像とウィーンの音楽の文化的なエロチシズムがすみずみまでに浸透し揺るぎがない。ウィーンの音楽家や住民は、モーツァルトはウィーンの《街の音楽》だというようなことを言います。いま目の前で鳴っている音はまさにそういう音。誰もが一体となって身体に染みこんだそういう音楽をさながら共鳴音のように鳴らしているのです。初めて聴く曲でしたし、後期交響曲のような古典的な構成もない曲なのに、目を見開くようにして聴き入り飽くことがありませんでした。

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パーティでは、三人の世界のトップオーケストラのコンマスに、余興のクイズとはいえずいぶんと内輪ネタのような質問も浴びせてみんなを笑わせました。質問のひとつに、どうしても団員と折り合えないようなダメ指揮者だったら、コンマスとしてどちらにつくか?という意地の悪い質問がありました。さすがに皆さん何とか当たり障りのない回答をしていましたが、千々岩さんの「とにかくただひたすら早く終わってくれと祈る」という回答に大爆笑でした。

ホーネックさんは、そのスピーチで「ホームグラウンドのホールに一同に会して、一週間、みっちりとリハーサルを重ねるという紀尾井ホール室内管は、とても貴重な存在だし、音楽家にとってもとても楽しい場である」と言っていました。こういう内輪ネタやギャグで盛り上がるパーティの雰囲気を見ても、指揮者やコンサートマスターや各パートがとても平等な立場で率直にやり合いながら音楽を作っているということがわかります。バラホフスキーさんは名前が覚えにくいせいもあって、皆さんは「アントン」と呼び捨てです。

ホーネックさんはコンマスと指揮者の二足のわらじ。コントラバスの河原さんの率直なお話しをGRFさんとともにお聞きしましたが、河原さんから見れば、やはり指揮者としての技量はまだまだ駆け出し。自分たち団員が指揮者としてのホーネックさんを育てる、ということでもある。自分たちはそういう気概でやらなければいけない----そういうお話しでした。自ら弾いて示し、演奏での呼吸ひとつで、そのインスピレーションを楽員に浸透させ一体化させるのがコンサートマスターの技量ですが、指揮者は、まったく身振りと要所要所の言葉の指摘だけでさらにそれ以上の音楽の核心を引き出す存在だということになります。コンマスと指揮者はまったく別のオーラを必要としています。

ソリスト、ゲスト・コンサートマスターとして何年かの実績を踏まえてきたとはいえ、首席指揮者としてホーネックさんを迎えたのは紀尾井ホール室内管弦楽団にとっても思い切った決断だったと思いますが、それはいまとてもよい方向に向いています。グローバル化のなかで、日本の音楽家、オーケストラはさらに新しい段階に入ったと感じます。今後に大いに期待したいと思います。





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紀尾井ホール室内管弦楽団 第108回定期演奏会
指揮:ライナー・ホーネック
ファゴット:福士マリ子
コンサートマスター:アントン・バラホフスキー

2017年9月23日(土) 14:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(2階C 2列13番)

モーツァルト:ファゴット協奏曲変ロ長調KV191
モーツァルト:交響曲第38番ニ長調KV504「プラハ」

モーツァルト:ディヴェルティメントヘ長調KV247「第1ロドロン・ナハトムジーク」
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