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2017年09月21日04:33

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アリストテレスの4原因説

 不眠症になったらアリストテレスの『形而上学』を読むべきだと昔から言われてきたが、不眠症になったことのない私には確かめようがない。だが、『形而上学』だけでなく、彼の書いたものは総じて退屈で、面白みがない。にもかかわらず、その内容は最も多くの人類を支配してきた。
 確かにアリストテレスは科学とメタ科学の違いを知っていて、哲学とはメタ科学の研究だと考えていた。だから、形而上学はMeta-physicaで、自然学の研究後に研究されるものだった。だが、メタ科学あっての科学だというアリストテレスとは違って、今は科学あってのメタ科学だと考えられている。
 アリストテレスは哲学者である以上に経験的な科学者であった。彼の研究成果は17世紀まで物理的な世界観を支配し、19世紀まで生物的な世界観を牛耳ってきた。それほどまでにアリストテレスの伝統は強大であり、また説得力ももっていた。そのためか、アリストテレスの4原因の枠組みを修正したのが私たちの現在の説明システムになっている。そこで、長い伝統を育んできたアリストテレスの自然についての考えを見てみよう。
 アリストテレスは形相(本質)は対象の外にではなく、具体的な個体(個物)の中に内在すると考えた。プラトンのイデアと違って、形相は個体に内在し、すべての個体は形相と質料が一体となったものである。アリストテレスは存在するものの変化を説明するために「可能態」と「現実態」という区別を考えた。そして、彼は可能態と現実態の間に起こる変化を4つの原因によって説明した。アリストテレスは自然に4原因−形相因、質量因、機動因(起動因)、目的因−を認め、それらを使って事物の現実あるいは可能な状態とその変化を因果的に説明しようとした。アリストテレスの見事な観察能力と、その観察データをうまくまとめてシステム化する能力を知ることができる。アリストテレスはこのような基本枠組みをまとめただけでなく、個別の事柄も実証的に説明する研究も始終行っている。まさに、彼は舌を巻く天才なのである。
 それぞれの原因を家を例に考えてみよう。質料因は家を造る材料、石や木等である。形相因は家を造る設計者の心の中にあり、質料によって具体化されるプランやデザインである。機動因は家を造る主体、つまり、建築家や大工である。目的因は家を造る目的である。アリストテレスはこれらの異なる役割を下の表のように考えている。

形相因 物質的なものを現実化する、決定する、特定するものである。
質料因 それなしには存在や生成がない、受動的な可能態であるものである。
機動因 それは結果を可能な状態から現実の状態に変える。
目的因 そのために結果や成果がつくられるものである。

(問)身の周りの事柄を理解・説明するためにアリストテレスの4原因が自在に使い分けられていることを確認し、彼の考えが今でも生きていることを確かめよ。

 アリストテレスの4原因は事物の構成と変化の両方の原因を含んでおり、変化の時間軸に二つの原因(機動因と目的因)、構成の階層軸に二つの原因(形相因と質料因)を置いたと考えられる。それらはそれぞれ「時間的因果性」、「存在論的因果性」と呼ばれている。その後、経験科学が発展する中で、いずれの軸も一方向だけ取り上げられ、時間軸からは目的因が、階層軸からは形相因が排除されて行った。それが現在の「因果的説明」、「還元的説明」のもとになっている。出来事をそれ以前に起きた出来事を使って説明するのが因果的説明、対象を構成するより基本的な要素に還元して説明するのが還元的説明である。階層軸の方は科学の研究の仕方もあって個別科学の研究領域に分けられ、階層的に分割された各領域では機動因だけがもっぱら研究対象として取り上げられることになる。
 その後、4原因すべてを使わずに現象を説明しようとする傾向が次第に強くなってくる。自然法則によって運動を説明しようとした物理学の最初の総決算はニュートンの古典力学であった。さらに、物理的な運動だけでなく、生命現象に対しても自然選択だけで十分と考え、自然選択に基づく進化論を展開したのがダーウィンであった。力学や進化論では機動因に対応する「自然法則」が因果的な説明に不可欠のものとなっている。そして、機動因以外の原因は自然の説明にとって不要のものというだけでなく、誤ったものという烙印を押されることになる。だから、物理学の教科書に出てくる対象が目的をもっていたり、生物種が変化しない性質だけをもっていたりするという考えは現在の私たちにはない。
 機動因に対応する自然法則によって因果性が理解できるという物理学に対して、因果性の認識について疑いをもったのがヒュームだった。 因果性についてのヒュームの徹底した懐疑論は因果関係の認識を心理的な恒常的連結に過ぎないとしたが、これを救おうとしたのがカントであった。だが、カントの試みは因果性をカテゴリーという合理的思考の領域に追いやり、やはり、自然の性質そのものであるとは見なさなかった。
 上述のような説明の仕方は私たちの行為に関して成り立つだろうか。行為の説明も同じように法則を使って行われなければならないというのが通常の考えであり、信念・欲求を原因にして、その結果として行為を説明するという風に考えられている。しかし、心的な状態である信念・欲求がどのように身体的な変化である行為を引き起こすかは誰にもわかっていない。また、心身の間の法則もその形式すらわかっていない。その理由の一つは上述の時間軸と階層軸の違いにありそうである。
 行為の因果的な説明は時間軸上でなされるはずであるが、行為の因果的関係の一部である心身の関係は階層軸上の関係であり、行為は二つの軸にまたがっての因果関係になっている。両方の軸にまたがる因果関係を私たちは今まで考えるのに成功していない。階層軸上の関係は因果関係ではなく、還元関係として特徴づけられており、そのような枠組自体が心的因果(Mental causation)を考えにくい、厄介な問題にしているのである。この厄介さはどのようなものなのか。アリストテレスの4原因は分解され、因果関係と還元関係の二つにまとめられ、この二つの関係は相互に独立のものと見なされてきた。例えば、物質と生命は異なるレベルにあり、物質にはない「生きる」という性質は創発的な(emergent)性質であり、還元はできないという主張をよく耳にするだろう。物質のどこを探しても「生きる」ことは見出せないように見える。これが生命ではなく心であれば、なおさら物質に還元できない性質が多くあると想像できる。そのような性質をもつ心の状態が下方因果的に脳の状態に働きかけるのが信念や欲求が原因として働くことであると考えられてきた。しかし、心の物質への働きかけは異なる階層間での因果関係であり、そのような因果関係は私たちが過去に捨て去ってきた筈のものなのである。
 このように、私たちが未だに解明できていない心身の関係をアリストテレスの4原因をどのように変形することによって理解するかという仕方で捉えること自体、アリストテレスの支配力の強さを示す証拠になっているのである。

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