mixiユーザー(id:7067927)

2017年08月25日10:31

135 view

なぜこの批評文に心が動かないのか?

■“大監督”クリストファー・ノーランの作家性ーー映像作家と劇作家、ふたつの側面から徹底考察
(リアルサウンド - 08月24日 12:52)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=169&from=diary&id=4731618
このクリストファー・ノーラン評、大学入試の小論文ならおそらく合格レベルだと思うが、映画批評としてはなにか足りない。私は、クリストファー・ノーラン監督の、ダークナイト・シリーズの大ファンではあるのだが、ノラ二ストではない。

ダークナイト・シリーズは英米ハーフ(教育を受けたのはイギリス)による、アメリカン・コミックスへの憧憬と批判が混在した作品で、暴力と単純さというアメリカ文化への痛烈な風刺と、そういう国家が世界にもっとも影響を与えていることへの懐疑があった。

たとえばかれの作品によってダーク&リアル化するまえの、アメコミのヒーロー映画として、1970年代後半からの『スーパーマン』があるのだが、主演のクリストファー・リーブの過酷な後半生は、アメコミのヒーローよりも、映画観客より圧倒的多数にリアルな感動を与えたということもある。

そしてノーランのダークナイトのリブートとは、アメコミの中二病ではないのか?と私は思うのだ。いまから40年も昔、別冊少年マガジンに連載された『スパイダーマン』は、いま中年の終わりにきた私にとっていまでも記念碑的な名作で、翻案・小野耕世(アメコミ研究の第一人者)、そののち原作は平井和正、絵は池上遼一で、スパイダーマンは、アメリカの高校生のストーリーではなく、学生運動や若者革命が挫折したあとの虚しい日本を生きる、日本の高校生の、まさに中二病的なストーリーが展開していたのだ。当時、この日本版を見たアメリカの担当者は、これは私たちが知っているスパイダーマンではない、と切り捨てたが、ダークナイト以降のアメコミ実写化は、その中二病へと加速し、変貌してきているのは明らかだろう。これはアメリカ文化の成熟を意味するのか?

このライターは、キューブリックを例に出しているのが、キューブリックほど哲学的でも芸術的でもないし、スペクタクルやモブシーンを撮るのが上手いのだし、テンポがいいのは弟が脚本家ということもあるのだろう。

新作のダンケルク、強大な敵、過酷なリアルに対峙する個人、というのがノーラン映画に共通するテーマだと思うが、この史実からなにをインスパイアされたのか、私はそれを確かめたいと思う。

そしてやっと今週末から日本公開になる、世界で記録的大ヒットがつづいている『ワンダーウーマン』に、なにがあるのかも確かめたいのだ。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する