78年3月3日、高崎市体育館大会メインイベントはシリーズ最終戦の3月30日、蔵前国技館でNWFヘビー級王座を賭けて対戦が決まっている猪木とマスクド・スーパースターが前哨戦で一騎討ち。
スーパースターとしてはこれが2度目の来日となり、イワン・コロフが前回書いたようにパワーダウンしてしまっていたこともあり、今回は単独エースとなりました。
スーパースターのマネージャーにはチェーン・デスマッチの鬼と言われ、後にジョーとディーンのマレンコ兄弟の父親ラリーとして、またフロリダのマレンコ道場のオーナーとして若いファンにも名前が知られているグレート・マレンコがつきました。
マレンコは山高帽に黒のタキシード上下、ステッキに葉巻を加えて入場してくるという非常にわかりやすいスタイルで登場しています。
何故スーパースターのマネージャーにマレンコがついたかは明らかにされていませんが、おそらく中身も地味なスーパースターがマスクを被ってさらに表情が観客に伝わらない為、ヒール度合いを上げる為にマレンコをマネージャーに付けたものと思います。
試合は猪木がスーパースターをコブラツイストに捉えたところでマレンコが乱入、「火のついた葉巻」を猪木の左眼に押し付けるという暴挙に出て、猪木の反則勝ちとなりました。
猪木は左眼を焼かれて負傷、蔵前でのタイトルマッチに暗雲が垂れ込みました。
このシリーズは坂口がWWWFとの提携路線から短期のニューヨーク地区遠征を行い、シリーズを全戦欠場しています。
凱旋帰国の藤波は、3月6日、新日本プロレスの丁度旗揚げ6周年記念日に越谷市体育館(ノーテレビ)でかつての師匠、山本小鉄とのシングルマッチを行いました。
新日本プロレス旗揚げメンバー同士の師弟対決でしたが、小鉄は71年12月に猪木が社内クーデターを起こしたとして日本プロレスを追放・除名処分となった時に一早く猪木と行動を共にしましたが、猪木の付き人をしていた藤波はまだ18歳の子供であり、世間のことはわからず、とりあえず日本プロレスに残留となりました。
12月13日、代官山の日本プロレス事務所で猪木追放・除名が発表され、その際に所属レスラーによる「乾杯」の集合写真が撮られてその写真が各スポーツ紙や専門誌(紙)に載りました。
おそらく、猪木にとっては最大の屈辱だったかと思います。その中には後に猪木と合流する星野勘太郎、永源遥の姿もありましたが、藤波も末席にポツンと生気のない表情で加わっていました。
この写真を見た小鉄が藤波の元気のない表情を見て「声をかけてみよう」と思ったとのことで、小鉄のこの行動がなければ、今回の藤波の成功はなかったと言えます。
試合は藤波が12分、ダブルアーム・スープレックスの体制からそのまま固める新兵器「風車固め」で師匠・小鉄超えを果たし、恩返しをしています。
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