ウィリエム・ルスカとの死闘を終えた猪木に朗報が…。76年2月24日付のアメリカ、ロサンゼルス版地方紙「ロサンゼルス・ヘラルド・エグザミナー」にプロボクシングWBA、WBC統一世界ヘビー級王者モハメド・アリと日本のプロレスラー、アントニオ猪木が6月に東京で対戦する、というニュースが掲載されました。
猪木と側近の新間寿営業本部長は前75年6月にアリが来日した際に挑戦状を叩きつけていましたが、その後も水面下においてアリ側との折衝を継続。
一方で海外メディアを使って「アリよ、逃げるな!俺と闘え!」とアピールを続けていました。
何しろ、アリのバックにはブラックモスレムと言われた黒人イスラム教組織、興行を手掛けるリンカーン・プロモーションのロナルド・ホームズ社長、トップランク社代表のハーバード・モハメド、ボブ・アラムと言った裏社会にも通じる大物達がおり、プロスポーツ界のキング・オブ・キングスであるアリと日本の一介のプロレスラー、猪木の試合などは最初から鼻も引っかけられなかったのは事実でした。
これほどの大ニュースの一報が地方紙だった、というのも当時は不思議に思いましたが、41年経って考えるとプロボクシングの世界王者アリが日本でプロレスラーとエキシビションマッチをやる、という程度の内容に過ぎず、アメリカでは芸能、ゴシップのカテゴリだったからかと思います。
日本ではこの報道を受けて真っ先に東スポが反応、新日本プロレス側の取材も行った上で、2月26日発行(27日付)の1面で「アリ対猪木、6月に東京で実現」と大々的に報じました。
そこには6月26日、日本武道館で試合が行われることについても書かれており、完全に東スポのスクープとなりました。
ただし、朝刊スポーツ各紙とは実際にかなりの温度差があったことも確かです。
東スポの井上博社長は、会社をあげて「20世紀最大のスーパーファイト」を後援していく方針を固めました。
そうなって来ると、「猪木番」である桜井さんの出番となりました。
2月27日のワールドプロレスリングは後楽園ホールからの生中継。ビッグ・ファイト・シリーズ第2週。
番組の冒頭でリングのエプロンに猪木と実況の舟橋慶一アナウンサーが対談するような感じで座ってのインタビューが行われ、猪木がアリ戦決定の報を受けて、意気込みを語っています。
この日猪木はマイク・スターリングスとセミファイナルでシングルマッチを行い、バックドロップからの体固めで完勝。
ちなみにメインイベントは坂口、星野勘太郎組が新日本プロレス初参戦となる赤い悪魔グレート(エル)・ゴリアス、ブラック・ゴールドマン組のレッドデビルスと対戦1本目は両チームリングアウト、2本目は日本組が反則勝ちとなりました。
当初はこの日からジョニー・パワーズが参加の予定でしたが飛行機トラブルの為来日が1日遅れ、翌2月28日の愛知県体育館から出場。
いきなり猪木とノンタイトルながらシングルマッチで対戦し、反則勝ちを拾いました。ここから東スポも新日本プロレスに平仄を合わせてアリと猪木の一戦を紙面を通じて全面的にバックアップしていくことになりました。
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