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2017年04月20日12:18

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訃報を機に読んだ、渡部昇一の優生学

渡部昇一と大西巨人の間で生じた優生論争について、これまで詳しく調べたことがなかったのですが、渡部氏の訃報を機に、問題のコラム「神聖な義務」を読みました。で、一昨夜、入浴中にあれこれ考えてしまったので、せっかくだから考えたことをメモしておきます。

問題のコラムの全文は以下のサイトにあります。
http://www.livingroom.ne.jp/d/h003.htm

渡部昇一が言ってること。

(1) 劣悪な遺伝子があると自覚した人は、犠牲と克己の精神によって「自発的に」その遺伝子を残さないようにすべき。

(2) 国家や法律が強制するべきではない。劣悪遺伝子を持っていると気付いた人が、それを天命として受けとり、自ら進んでやることは聖者に近づく行為であり、高い道徳的・人間的価値がある。

(3) 「既に」生まれた生命の尊さは、常人と変わらない。しかし「未然に」避けうるものは避けるようにするのが、社会に対する神聖な義務である。

(前振り部分のエピソード) ドイツやオーストリアではスリやかっぱらいが少ない。ドイツには、ジプシーなどの他の劣悪な民族が犯罪を起こすという考え方が今もあり、ナチスもその偏見に従ってジプシーを一掃した。

気が付いた問題点。

(a) 科学的な観点から見た現実性・具体性がどの程度あるのか、かなり疑問。「劣悪な遺伝子を持った人」など、比喩表現としては解釈可能だが、科学的に定義可能なのか。血友病に関しては原因の遺伝子が特定されているらしいが、コラム全体は、血友病に特化した議論をしているわけではない。

(b) 追記でのエクスキューズで、「私はカレルに同意したのであってヒトラーにではない」と書いているが、カレルとヒトラーで、どこがどう違うのか、いまひとつはっきりしない。エクスキューズでは、上記(2)の部分がヒトラーとの違いだと言っているから、個々人が自発的にやるならOKという立場らしいが、生命観・障害者観の部分では差がない(道徳論としての差がある)。実際、上記HP末尾の註によると、ナチスで精神病患者の安楽死を計画・実行したカール・ブラントは、自分の弁護の中でカレルを引用しているらしい。

(c) 現実の世界では、渡部昇一が主張していることは、ある程度実現されている。積極的に障害児を産みたいと考える人はいないし、可能であれば避けたいと考えるのが、現代人の一般的な価値観。近年でも、出生前診断の結果を知って出産を断念する人は少なくない。また、障害児を産んだ親の多くは、渡部昇一に言われなくても「自分の遺伝子が原因だ」と感じてしまうだろうし、これ以上子供を作らないと決意する人も少なくない。

(d) ただし、人々が(c)のように行動する理由は「犠牲と克己の精神」でも「神聖な義務」だからでもない。公益というよりは私益(生活力・経済力など私的な事情)に基づいてそうしている。だから、「神聖な義務」とは正反対の罪悪感を抱いてしまうケースもある。これとは逆に、「公益」を理由に妊娠出産の断念を求めている点を批判する声もある。――こうした当事者の実情について、渡部昇一は鈍感。

以下は私見。

(ア) 結局のところ、渡部昇一の関心の中心は現実の状態(障害者の実情)ではなくて、倫理観の議論をすることにある。現状は、外形的には彼の願望と大差ない。そう考えて、読み直してみると、上記論点の(2)などに、それが顕著に出ている。ちなみに、倫理学の議論として面白いかというと、このコラムおよびエクスキューズは、倫理学の議論を意識しているようには思えない。例えば「公益のため」という価値観を無検討のまま使用/肯定している。

(イ) ヒュームやアダム・スミスなどを高く評価していた渡部昇一でさえも、「戦後の日本人は私利私欲にまみれて堕落している」という感覚から脱却することはできなかった。子供の頃に頼山陽「日本外史」を愛読していたというから、尊王攘夷の熱病感覚みたいなものが根強くあったのかもしれない。この辺が、ネトウヨの祖となってしまった原因か。

(ウ) 人権でも生命の尊さでも、その価値観を無際限に原理化・絶対化してしまうと、非現実的な空理空論になってしまう。「可能であれば障害児の出産は避けたい」という感覚を、差別だとして否定しまうと、すべての中絶・堕胎は殺人だと主張しているキリスト教原理主義者と大差なくなる。実際、倫理学者のピーター・シンガーは、「人種」差別を「種」差別に拡大して、食肉はもちろんのこと、動物に苦痛を与える行為を全否定している。そういう意味では、生まれてきた生命の尊さは認めるが、受胎以前には適用しないという、渡部昇一の考え方は、理由の問題(d)を別にするなら、それなりの現実性がある。

(エ) よって、渡部昇一の議論にも、それに反論する一派の議論にも、全面的には同意しない。

――以上、典型的な“変人知識人”だった渡部氏の追悼文の代わり。

以上の文章を一通り書き終わってから、上記HPの作者が2007年に書いた論文を見つけたので、少し書き直しました。自発的優生をめぐって、血友病患者の間でも意見が割れたという話など、なかなか興味深いです。

〇血友病者から見た「神聖な義務」問題  北村 健太郎
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2007/kk01.pdf


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