確かに、「なぜ、読書しなければならないの?」という疑問がでるのは、異様です。
その原因はさまざまありますが、
一つは、文芸作品と書物の混同がありますね。
私の小学生時代は、反吐が出るような甘ったるい文学教育が主流でした。だから、同窓会などでも、国文学を専攻しているので、肩身が狭い思いをしています笑
先日、その、同窓会でした。
高校時代の同期の二次会。大学入試を潜り抜け、一流大を出たヤツが多く、勉強はしたヤツラですが、
主に理系の人を中心に、「主人公の心情を説明せよ」などという問題が出るのはどうしてか。
と聞かれました。
センターを除くとほとんど出ないと説明しましたが、
それならば、評論や論文の読解は、今までのようであっていいのかという問題も出てきます。
例えば国文学者として著名な池田弥三郎は、慶應の学部長時代、「慶應の志願者に国語を出題するのさ、失礼だ」と、国語を出さず、要約つき小論文をだしました。
読解力、読書量に欠けると、アウトです。
この問題は、
教育の失敗に起因しているはずです。
ゆっくりと考えてみます。
読書離れ進行「なぜ読書をしなければいけないの?」への回答
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=4531740
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