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2017年02月01日13:54

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ムー帝国物語。(第1話幻のムー大陸を求めて)

二二ギがなぜムー帝国にこだわるのか。
それは私の生涯のテーマであり任務だったからです。
ニニギは富士の高天原をひらき、人類の生命を司るラジウム石を教わった。そして高天原のルーツムー帝国までも蘇させることを命じられた。
そしてそのムー帝国も目の前にいまだに存在してることをつき止めたのです。
地球が終焉をむかえようとしてる今、ムー帝国の応援無くしては乗り切れないでしょう。

さあ。いよいよ二二ギの日記の総集編。「ムー帝国物語」をご覧ください。シリーズものになります。出口王仁三郎さんの「霊界物語」に継ぐ傑作ですよ。

「幻のムー大陸を求めて」(以前の日記で書かれたものです)

人は生まれ変わりがある。
一つの「個性」が波動となって次の「個体」に入りその遺伝子の螺旋を変化させ、「自分」が出来る。
従って生命体は遺伝子の構造がその個体を決定し、それに個性の波動が螺旋の構造を決定して自分が再生される。これをなるとの仕組みというのであろう。仕組みと言う限り更にその先きがあるのだが、日記とは関係ない。

ニニギになった時、更にニニギはだれの生まれ変わりか気になってきた。しつこい性分なので。

自分の過去をもう一度振り返ってみた。出てきたアー。凄い強烈な体験が。凄い、凄いスピードである。音速に近い。この夢毎晩見ていた。何だろう。

今から40年ほど前に私は結婚した。
新婚旅行はタイのパタヤにしようと学生旅行の時知り合った元JTBのY氏を訪ねた。お金を払って赤坂にあったT旅行者にチケットを取りにいったら彼がいない。
係に聞くと「Yは退職しました」と。しまった。お金を持ち逃げされた。
せっかくの新婚旅行にケチがついた。会社に聞いても行き先は分からない。と。
困っていたところで、彼から連絡がはいった。
「あの金額分の航空券だけなら手配できる」そう言うのである。要はホテルはだめだが、航空券ならごまかして発行できると言う事だった。
そのためもっと運賃の高い所を探す事になった。
そしたら丁度良いのがあった。「トラック島」だ。南の珊瑚礁の海の好きだったわたしは、戦前南洋諸島の首都だった、あの冒険だん吉の舞台となったトラック島に行きたかった。

トラック島でのバカンス10日間は素晴らしかった。もう一度きたくなった。すると地元で出来た友達が(住民は皆日本語教育を受けており、日本語ペラペラ)この先きにポナペという太平洋の花園と呼ばれる「天国」がある。そこは一年中花が咲き乱れた「地上の楽園」がある。と。

これは行きたくなった。
当時私は日本ビクターに勤めており、高田馬場駅前のビッグボックス9階のビクターミュージックプラザで気楽なコンサートミキサーをやっていた。当時は松田聖子のコンサートなどラジオ局のライブを中心にいい加減な仕事をしていた。だって私は音楽が大嫌いだったからだ。

ビッグボックスの2階には西武トラベルがあり、旅行好きの私はトラベルの所長と旅の話しをするのが楽しみだった。
とある日、太平洋の花園ポナペの話題が出た。すると所長が「ポナペなら最近私の友人がホテルを開いた。行ってあげてくれないか。」これで話しは一気に現実となった。

会社に長期の休暇をとっていよいよ出発。サイパン経由でコンチネンタルミクロネシア航空がポナペ迄、週一便とんでいる。
空港に着陸した。凄い砂埃で地上が見えない。手動運転だろうが大丈夫なのか。心配なかれ、運転席は埃の前だ。ジェットエンジンが埃を巻き上げていた。なんたる事か、地上に階段を降りてわかった。滑走路は砂利道だった。

空港は黒い顔した女子供でごった返していた。ターミナルはビルどころか、柱だけの掘建て小屋だった。皆について行くと、呼び止める人がいる。
何だろう。何かまずかったか。まずいもそのはず。入国審査官だった。みんなはトランジットなのでそのまま外をぶらぶらしてる。
どうして分かったのだろうか。それも其の筈、私達だけ荷物をもっている。それでわかったのでした。

飛行機が出発すると、空港にはだれもいなくなった。あれ。降りたのは私達だけだった。うれしい顔
空港は島でただ一つの娯楽場でした。外国人がゾロゾロでてくるので。それを眺めるためたくさんの人がいたのでした。そう言えば、入国審査はパスポートにハンコぺった。それで終わりでした。1秒でした。
写真はポナペ空港。

フォト

何とかトラックを捕まえて、越沢さんのやってるホテル、サウスパークホテルにつきました。目の前にはポナペのシンボル「ソーケスロック」が。 (最初の写真)
あれ、この岩どっかで見た事あるような気がするのです。
大きな岩が一列に冬至のラインにそって並んでいる。これは後になって巨石文明の跡には必ずある巨石配列。参考までに山梨の瑞垣山の巨石配列の写真も入れておきました。 (真ん中の写真)

これは失われた大陸「ムー」の遺跡です。
そうこうしてる内に、ムーの神殿跡と言われる「ナンマタール遺跡」があるという。早速ボートをチャーターして出発です。その日は大雨で私は渋ったのですが、運ちゃんは「キャンセル出来ない」と強引に荒海に。
遺跡は島の反対側にあり、海上に玄武岩を積み上げてできている。数キロ四方で世界7不思議にはいっているという。
神殿に到着すると、雨は一気に止み、青空がひろがった。運ちゃんはビックリ。「奇跡だ。今迄雨にに降られなかったことは無かった」後からきいた話しでは、呪われた遺跡と言われ、必ず雨が降るそうだ。もっとも一年中雨の降ってる島なのだ。やはり運ちゃんは舟から絶対におりなかった。呪いはそうとう恐れられているようだ。 戦後の日本人としては初めての訪問者だったようだ。
写真はナンマタールの積み上げた玄武岩。

フォト

この六角形の玄武岩は「遠くの島から空を飛ばして運んできた。呪文を唱えると奇麗にくみあがっていった」そうだ。この玄武岩は当地富士の玄武岩と全く同じである。

前置きが長くなった。話しはこれからです。

毎日が退屈なので、私達は歩いて散歩に出た。帰り道におかしな村に迷い込んでしまった。「家」というものが無いのだ。柱と屋根のほったて小屋しかない。まてよ。床の上で皆ねている。なんとこの柱と屋根が彼等の住居だったのです。

昔本で読んだことがあるけど。太平洋の孤島でいまだ石器文化で生活をしている人達がいる。と。そうだこの人たちだ。ホテルの人も「近くに原始人の村があるので近づくな」といってた。

そうでした。彼等は太平洋ビキニ諸島の「カピンガマランギ島」からアメリカの水爆実験のため疎開させられ、遥か1000キロ離れたこのポナペ島までやってきたのでした。彼等は地元住民とはなじめず、いまだ原始生活をしていたのでした。

写真はカピンガマランギの村。

フォト

困ってる私達に長い髭の長老が近づいてきた。
そして写真のような丸い飾りを差し出した。何だろう民芸品を買えというのか。
私がお金を10ドル出すと、長老は悲しそうな顔をした。そうか彼等にお金は通用しなかった。ならば私にくれるというのだろうか。そのまま持ち帰ろうとしたら、長老は喜んだ。私にくれたのである。
ホテルに帰って越沢さんに聞いたら、この飾りは彼等の「魔除け」でとても大切にしているのですよ。と教えてくれた。

結構バカでかいものなので飛行機の中もずっと手持ちで持って帰った。

写真はポナペのソーケスロック前で若かりしニニギの記念撮影。

フォト

そして、38年たった今全てが分かった。
この飾りは失われた大陸「ムー帝国」の皇帝ラ.ムーの紋章ではないか。彼等の最も大切にする宝貝を中に飾った。とんでもない物をもらった。 マヤの暦と似ています。
かれらはこの1万年というあいだ、ムーの教えのもと、ずっとその文化を守ってきた。太平洋の石器人と言われ。
それがアメリカの水爆実験により、地上で最後の聖域を失った。
カピンガマランギ島はアメリカの水爆実験によりついにその姿を太平洋の海底と沈んでいったのでした。
この人類史上最大の核実験は一つの島そのものを消滅させたのです。それも最後の「ムー大陸」を。

なんと「ムー帝国」の滅亡は僅か60年前の事だったのです。
この人類史上最悪の暴挙は「宇宙の絶対神ラ.ムーは許さないでしょう。絶対に許さないでしょう。
ニニギこの「ラ.ムー」の生まれ変わりだったのです。
そしてムー滅亡から一万年の時がたち、ついに「ラ.ムー」は蘇りました。地球最後の仕事をやり遂げるために。

長老がわたしに涙ながら言いたかった事。今分かりました。「ムー帝国」を興す。いや「ラ.ムー」の蘇りでしょう。私に託した事を。

その後カピンラマンギの人達が気がかりでインターネットで調べたら、得意の彫刻でハンドクラフトの土産物屋さんになり現地に同化してました。お金の社会にそまって。長老にはこの姿が分かっていたのでしょう。

これも偶然ではありません。私がやるしかありません。今でも言葉も通じないわたしに流した長老の涙は絶対にわすれません。

あーあー思い出しました。
私はムー帝国最後の皇帝君寧でした。
人類の環境破壊から地球を守るために行った、あの日の事を。
何も人類が堕落したのではありません。己の欲望が巨大化し、著しい地球環境を汚し、生命滅亡の危機を迎えたのでした。
方法はただ一つ。地軸を動かし地中のマグマを吹き出させ、海水を沸騰させて汚染をリセットしたのでした。

私のいた丘は大陸から分離させ、無重力状態で太平洋を滑らせ。いまのユーラシア大陸にぶつけたのでした。

ぶつかった接点は大爆発をし、今の富士山の元ができました。この衝撃で大陸は割れ、日本海が出来、日本列島は大陸から分離しました。水上を移動した島の早さは音速に近く。その恐怖はいまだに忘れません。神ゆえ生き残れたのかと。いまだに夢にでてきますし。高速の乗り物に乗ると気を失いそうになります。

(続く)
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