83年4月16日、愛知県体育館(観衆8100人発表)からドリーとテリーのザ・ファンクス、馬場、鶴田組、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組の3チームによる2回総当たりリーグ戦による賞金10万ドル争奪「世界最強タッグリマッチ」がスタートしました。
前82年暮れに行われた世界最強タッグ決定リーグ戦では優勝候補の大本命と言われたハンセン、ブロディ組の超獣コンビ(ミラクルパワーコンビとも呼ばれた)と翌年にテリーの引退を控え、最後の最強タッグ出場(この時点では)となるファンクスが12月13日、蔵前国技館での公式戦最終試合で対戦。
ハンセン、ブロディ組絶対有利と言われましたがハンセンのウエスタン・ラリアットがレフェリーを巻き込んでしまい反則負けを取られ、ファンクスが優勝。
「俺たちは負けていない!リングに這いつくばっていたのはどっちだ!」
収まりがつかない超獣コンビが再戦をアピール、暮れの83年世界最強タッグ決定リーグ戦を待たずして、上位3チームによる異例とも言うべきリマッチが実現しました。
(優勝したファンクスが反則勝ちによる優勝は不本意で超獣コンビにリベンジすべくNWAのボブ・ガイゲル会長を動かし賞金10万ドルを出すように持ち掛け、リマッチを主張した、という説もあるがいずれにせよ全日本プロレス側が作ったストーリーである)
ルールは2回総当たりリーグ戦。これならば1回は反則などの不本意な負けでも再戦がありますし、また同じ轍を踏めばプロとしての自己責任。言い逃れは出来ません。
リーグ戦は45分1本勝負。勝ち2点、時間切れ引き分け1点、負けと両チームリングアウト0点のPWFルールででシリーズ最終戦の4月28日、京都府立体育館までリーグ戦が行われ、最多得点チームが優勝となります。
初戦ではファンクスvs馬場、鶴田組が対戦し45分時間切れ引き分け。ファンクス、馬場、鶴田組共に1点。
この日はダブルメインイベントでこの試合の前にブロディのインターナショナル・ヘビー級王座に天龍が2度目の同王座挑戦。
前82年10月20日、青森県営体育館での初挑戦ではブロディの奇策とも言える逆さ押さえ込みで敗れている天龍はスタートから果敢に攻めていき、ロープに振ってショルダータックル狙いにいったところをブロディが鮮やかにジャンプしてのフライング・ボディアタック。
意表を突かれた天龍は9分5秒体固めでフォール負け。内容は善戦でしたが結果だけを見ればこの時期天龍はブロディにまだタイトル戦で10分持たせて貰えない状況でした。
ハンセンは開幕戦の後楽園ホールに続き、阿修羅・原とのシングルマッチでウエスタン・ラリアットで圧勝しています。
2月25日に続き、集客が厳しいことで知られる全日本の愛知県体育館の2シリーズ連続開催は珍しかったですが豪華メンバーが功を奏したか8100人発表は満員マークはつきませんでしたがまずまずの入りでした。
翌4月17日、長崎国際体育館(観衆5500人発表、満員)では馬場、鶴田組がハンセン、ロン・バス組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦。
馬場がハンセンのウエスタン・ラリアットをかわしてバスに同士討ちとなり、13分41秒体固めで馬場がバスを降し5日ぶりに馬場、鶴田組がベルト奪回に成功しています。
セミファイナルは地元長崎出身の大仁田がジプシー・ジョーの挑戦を受けてNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座の防衛戦。
ジョーは小柄ですがジュニア・ヘビー級にカテゴライズされる選手ではないと思いますが、国際プロレス時代の阿修羅・原のWWU世界ジュニア・ヘビー級王座挑戦(80年1月7日大阪府立体育会館、1月14日長崎国際体育館、長崎は原の地元でもある)以来3年ぶりに全日本でもジュニアに挑戦。
試合は11分46秒、両者リングアウトの引き分けで大仁田が5度目の防衛を果たしました。
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