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2017年01月22日11:22

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今年初のギンレイの2本

昨年はあまり通えなかったので、今年は頑張ってギンレイに通おうと思う。
で、今年最初の2本。
今回は2本ともある人物の栄光と影を綴った作品だったが、どちらもかなりの「当たり」だった。

まず「疑惑のチャンピオン」。

睾丸ガンをわずらったもののそこから復活し、ツール・ド・フランスで前人未到の7連覇を達成したランス・アームストロングの話である。
アームストロングについては、7連覇後に引退していた事までは知っていたが、その後ドーピングが発覚した事は知らなかった。
本作ではアームストロングの栄光と影が綴られている。

約1カ月掛けてフランスを1週する自転車競技ツール・ド・フランス。
日本では自転車競技はマイナースポーツだがヨーロッパでは絶大な人気を誇り、区間1位のみが着用できる黄色のジャージ「マイヨジョンヌ」はヒーローの証しとなっている。

アメリカ人のランス・アームストロングは、21歳の時最年少でツール・ド・フランスに参加した。
しかしその数年後、進行性の精巣ガン(睾丸ガン)で病気休養を強いられてしまう。
ランスはなんとか病気から復帰するものの、もはや一線級の選手として活躍する体力は残されていなかった。
その時彼が選んだ選択は、ドーピングだった。

当時の自転車競技界では、ドーピングもかなり広く行われていたらしい。
ランスやチームメイトもなんの迷いもなくドーピングを行っていた。
特にランスは、ガンから立ち直ったアスリートとしてガン患者の希望となっており、負ける事は許されないと考えていたのだ。
ランスはチーム全体に支えられ、7連覇の偉業を成し遂げた後引退する。
しかしランスは引退後の生活に満足感を得られず、復活を決意した。
だがさすがにドーピングの力を借りても往年の力は出せず、優勝する事はできない。
その間、ランスの成績に疑問を抱いた記者が、ランスのドーピングを探っていた。
やがて記者は、ドーピングの元締めであったイタリア人医師が逮捕された事を知り、その医師のオフィスの近隣にランスが立ち寄っていた事も掴む。
さらにかつてのランスの同僚が、ランスのドーピングを告白。
ランスは自らのドーピングを認めざるを得なかった。

ランスのドーピング疑惑を追った記者のノンフィクションが原作となっている。
しかし細かい部分では、映画としてかなり脚色されていると思う。
とは言え、一人の人間がこれだけドラマティックな人生を送ったと言う事に、やや驚きを感じた。
この映画の前までは、ランスがドーピングをしていた事を知らなかったので、私にとってランス・アームストロングは病気から立ち直った偉人であった。
なので真実を知って少なからずショックを受けた。
ドーピングの過程やガン患者の期待を背負ったランスの葛藤がかなりリアルに表現されており、あまりにもドラマティックでこれが真実を元にした物語かと言う点でも、衝撃を受けた。

自転車競技だけではなく、スポーツ全般が好きな人にはオススメの映画である。


続いて「トランボ」。

かつて「栄光なき天才たち」というマンガがあり、そこで「ドルトン・トランボ」の回があった。
私が最初にダルトン・トランボの事を知ったのはその時である。

トランボは1940年代に、すでに脚本家として名声を集めていた。
しかし彼は第二次世界大戦中にアメリカ共産党に入党しており、戦後アメリカでマッカーシズムが激化すると、その他の仲間たちともに非米活動委員会からの招集を受けるようになった。
トランボ自身、元々が頑固な性格であり、かつ仲間たちの信念もあり彼らは招集を拒否した。
いわゆる「ハリウッドテン」である。
すると彼らは議会侮辱罪で訴追され有罪となり、上告も認められずトランボは収監されてしまう。
さらにこの時、非米活動委員会がハリウッドで共産党を支持している者たちをリスティングした。
それが「ハリウッド・ブラックリスト」だった。
当時ハリウッドでは、役者、裏方とも、ブラックリストに載ったという噂がたつと仕事がなくなる状況で、仲間を裏切る者も少なくなかった。
トランボも仲間に裏切られていたのだ。

出所後、オフィシャルな仕事がなくなったトランボは、B級映画の制作会社に自らを売り込む。
そこで名前を隠し、安い仕事を大量にこなすのだった。
やがて彼はかつての仲間を集めて、集団で脚本を大量生産する事を思い立つ。
トランボ自身、いくつものペンネームを駆使して脚本を書き続けた。

やがて、トランボがペンネームで書いた脚本が、アカデミー賞の候補にあがるようになる。
「ローマの休日」は実在する友人の名前を借りていたので大きな問題にはならなかったが、その後の「黒い牡牛」はペンネームのロバート・リッチ名義で作成したため、受賞者が公の場に現れる事はなかった。
しかしだんだんと、トランボがペンネームで活動している事がハリウッドでも周知の事実として知れ渡るようになる。
非米活動委員会に協力していた「アメリカの理想を守る映画連盟」からいろいろな妨害を受けるものの、トランボの才能を認め、トランボに仕事を依頼する者も多くなってきた。
そしてケネディ大統領が「黒い牡牛」を評価する事で、事実上「ハリウッド・ブラックリスト」も有名無実化するのであった。

決して間違ってはいないのだが、頑固すぎて周囲とも溝を作ってしまうトランボ。
この映画では、そのトランボの人となりが非常によく描かれている。
出所後、家族を護るために脚本を大量生産するものの、あまりにも仕事に夢中になり過ぎて家族を顧りみなくなってしまう。
反発する長女のニコラを迎えに行くシーンも、短いが彼と家族の関係を表現する上で重要なシーンになっている。
また、トランボを裏切った俳優の言い分ももっともだが、トランボは彼を許す事ができない。
さらに、途中からトランボに手を差し伸べてくれるB級映画会社の社長もただの守銭奴と思いきや、トランボを護るためにおどしをかけてきた記者をバットを振り回して追い返す、そんなシーンもトランボの性格を表すために機能している。

トランボは実名でハリウッド復帰後も「パピヨン」「ダラスの熱い日」などの作品を世に送り出している。
しかしこの映画では、「黒い牡牛」と「ローマの休日」のオスカーを受け取るエピソードしか語られない。
またトランボは、晩年自らメガホンを取って「ジョニーは戦場へ行った」を制作する。
前述の「栄光なき天才たち」では、この映画はアメリカ以外で称賛を得るもののアメリカ国内ではまったく評価されなかったと伝えているが、この映画ではその部分も語られなかった。
その話を知っていただけにラストはやや物足りなさを感じてしまった。
だがそれでも、十分満足した作品だった事は間違いない。

もうすでにギンレイでの上映は終了してしまったが、映画好きならばこの2作品はぜひ押さえておきたい。


6.疑惑のチャンピオン
7.トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
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