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2017年01月18日23:39

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美濃路180 尾張国衙

1月上旬 快晴
小沢一里塚跡の北東580m以内に
尾張国衙址(おわり こくが し)があるというので、
美濃路が西に折れる小沢のT字路で美濃路から離れ、尾張国衙址へ向かった。

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西側に位置する小沢から路地を東に向かって松下に入ると、左手(北側)に
稲沢市の製作した純白の案内書立て札があるのが目に入った。
そこは松下公民館の片隅で、案内書『尾張国衙址』にはこうあった。

「古代律令制の時代、国司(現在の県知事)が政務をとる官庁が国衙とか国庁といわれ、その所在地を国府と言った。
 国衙は、大火の改新のあと7世紀後半に置かれたが、尾張の国衙は’松下の地にあったとされ、この地が政治・文化の中心であったとされる。」

この案内書の脇に「尾張国衙址」と刻まれた石碑があった(写真中)。
この石碑の奥は砂利が敷きつめられており、その奥、10m以内に
玉石を組んだ大きな石垣の基壇の上に銅板葺白木造の社が祀られていた(写真中)。
おそらく、尾張総社である
大国霊神社(おおくにみたまじんじゃ)の分社だと思われる。
この砂利を敷きつめた社地を囲む生け垣の樹木の枝葉は
基壇の玉石に合わせたかのように楕円形に分散するように剪定されていた。
美濃路からここまで580m以内だが、
もちろん、他所者の入り込む街道は松下外に通されたわけだ。

尾張国衙址の西北西270m以内に妙な名称の神社があるので、向かった。
社頭を東西に延びる、車道の両側に段を上げた歩道を持つ車道を
東から接近すると、右手(北側)に背の高い白い幟と石鳥居が現われた。
社頭は南を向いおり、境内は1mほどの高さの石垣で上げられ、
玉垣が巡らされている。

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幟柱には白地に「修理若御子神社」と墨書されている。
「しゅうりわかみこじんじゃ」と大人の日本人なら一応は読める社名だが、
頭の2字のために、誰しもその読みで正しいのか不安にさせる社名なのだ。
参道は石畳で、表通りの歩道からいきなり、バリアフリーの参道が
登りに入り、石造の八幡鳥居をくぐって、奥に向かっている。
歩道沿いのい玉垣内に建てられ、「村社 修理若御子社」と刻まれた社号標には
百花繚乱のヤブツバキが覆い被さっている。
向かい側の歩道上に愛車を上げて、道路を渡り、鳥居をくぐると、
鉄筋造の拝殿までは30mあまり、
拝殿前の狛犬の手前にはプレーンな基壇に乗った
黒と白の撫牛像が向かい合っていた。
拝殿には未だ、松の内ということで、純白の神前幕が張られていたが、
幕には墨で梅鉢紋が染められていた。
ここの神社名は「すり わかみこ じんじゃ」と読み、
祭神の別名は黒染天神だという。
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