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2016年12月19日13:31

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X君関係の追記

 彼は町に出ると、買いたいものを好きなだけ買いまくる癖があったと聞いている。それゆえ、お小遣いとは別に、父母が隠したお金を持ち出しては使ったり、多くの友人にお金を借りまくっては返さず、困るそうだ。欲望のまま商品を買いまくる、しかも、経済感覚がないわけである。お金ではないが、僕の所にも「車を貸してくれ」と電話が来たので、断った事もある。何分、運転免許はあるとのこと。よくも当時のかかりつけの医者はそれに反対しなかったものだと思う。本来ならば、運転などは不可能な体と精神状態なのに。


  運転の事はともかく、お金の事は友人間で、貸し借りはしないルールを作れば良いと。何もX君に限らず、全ての人に対して。大体、お金が絡むと友人関係は崩れるものである。X君に出会う前、別の会で友人にお金を貸した事も僕もあったが、後年になり、どうだったかと反省もしているわけである。

  それにしても、当時の日本にはクレジットはまだなかったが、後年に非常に普及したクレジット・カードは便利だが、使っている内に欲望のままに買いまくり、自己破産する例も日本でも増えている。外国ではもっとひどい例も多いそうだ。X君とどう違うのかと、今の僕は思うのだ。また、芸能人だから実名を挙げると、今年の夏に高畑裕太が一女性を誘い、強引に性行動をした。X君とどう違うのかと。むしろ、X君よりもひどい。X君はそのような事はしなかった。性行為の一歩手前で立ち止まり、相手の気持ちは考えたわけである。

  K会の仲間に一人、最後までX君をキャンプに連れて行く事を述べた人がいた。仮に、A氏としよう。A氏は「X君は何かの病気を持っているだけで、我々と同じ人間だ。差別してはならない。病気のメカニズムさえ掴めば、キャンプにも一緒に行けるし、付き合える」。氏は熱心な仏教信者だが、仏教には「相手の身になって行動しろ」という教えがあるから、そのためにそのような事を述べたと思われる。聖書には「己の如く、汝の隣人を愛せよ」とあるが、その教えと全く同じものだと言って良い。聖書的に述べると、A氏は最後まで愛を貫こうとしたわけである。でも、そうはならなかった。A氏は傷つき、会も、キャンプも去った...。

  A氏は非常に立派だったと思う。X君の人格も認めて、深く愛した。でも、一つだけ欠けていたことがあった。刹那のX君の願望にとらわれて、時間的にX君を見る事がなかった事。ただキャンプに参加させて、健康な人と同じ事をさせても、X君の為にはならない。当時のX君本人も気が付かなかった、X君が伸びる策をA氏は考えられなかった。傷ついたA氏の事に言うのも酷だが、強いて言えば、時間的な見方ができなかったから、A氏の仏教的な想いも空回りしたのかなと、今の僕は見ていますが。(真の仏教とか、聖書の教えは、時間的な見方も含まれるわけだが、そこまではお経を読んでもA氏は気が付かなかった。誰でも気が付きにくい問題である)

82年当時の僕もX君をキャンプに同行する事はムリという意見だったので、A氏に怒られた事が脳裏に残っています。今の僕なら、先に書いたように、条件付きで同行という意見ですが。当時はまだ福祉も、脳医学も発達しておらず、関わり合いも非常に難しかったものの、何か共生の策はあったわけですが。その後のX君の行方は判りませんが、排除してしまい、非常に残念でした。

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