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2016年12月15日08:31

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12月15日(木) #1286 過去に流行った踊り、体操

おはようございます。木下藤吉郎です。


今から36年前の1980年(昭和55年)の今日、大阪モノレールの運営会社であります、大阪高速鉄道が設立されました。

■大阪高速鉄道 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%89%84%E9%81%93


また、今から85年前の1931年(昭和6年)の今日は、詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家の、谷川俊太郎(たにかわ しゅんたろう)さんの生まれた日です。

■谷川俊太郎 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E4%BF%8A%E5%A4%AA%E9%83%8E






















12月15日 木曜日

きょうは、日中の気温がこの冬一番の低温になる所が多くなりそうです。暖かくしてお出かけください。日本海側の地域や山沿いでは雪が降りやすく、平地でも積雪の恐れがあります。足下、交通機関の乱れ等に十分ご注意ください。

さて、けさの「朝の歳時記風日記」は、半ばきのうの続きになります。きのうは、ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ(逃げ恥)」がなぜヒットしたのかを私の観点から語り、人は、歌や踊りに惹かれやすい傾向がある旨を記しました。

このような傾向は、なにも今に始まったわけではなく、ずっと昔からあったようでした。けさは、そのことについて書いていきたいと思います。

歌や踊りに魅力を感じる傾向があったのは、日本史においても伝統芸能であります「お能」や「文楽」「歌舞伎」などが、音楽に乗せながら劇を進めていく、いわゆる「和風オペラ」の感があり、相当の昔から日本では音楽と踊りには親しみがあったようです。小倉百人一首に登場する僧正遍昭(そうじょうへんじょう)の和歌「天つ風 雲の通ひ路 吹き閉じよ をとめの姿 しばしとどめむ」は、五節の舞という、天女に扮した女性が踊りを披露する様に魅了され、舞が終わる時、「ああ、行かないでくれ、もう少し見せてくれ」という惜しむ思いを詠んだと言われています。この歌が詠まれたのは平安時代前期、グレゴリオ暦では800年代に当たりますから、実に千年以上の昔には、舞が人を魅了させるものとして感じられていたようです。

そこから事細かに振り返っていては、話が何日もかかってしまいかねませんので、ぐっと時計を近代から現代近くに戻します。

第二次世界大戦後、日本では空襲による攻撃がなくなったものの、人々の生活は困難を極めていました。そんな中で、人々を元気づけていたのは、やはり歌でした。1946年(昭和21年)に発売された「リンゴの唄」は、戦後初の映画「そよかぜ」の挿入歌として使われ、戦後のヒット曲第1号となり、戦後・復興のシンボルとして親しまれました。

1950年代から60年代にかけては、「ハナ肇とクレージーキャッツ」が歌と面白おかしなパフォーマンスで人々を魅了しました。とくに植木 等(うえき ひとし)さんの姿はのちにザ・ドリフターズの一員としてのみならずピン芸人としてもヒットする志村けん(しむら けん)さんに大きな影響を与えたようで、昭和末期から平成初期にかけて放送された「志村けんのだいじょうぶだぁ」に登場した「ウンジャラゲ」という歌、ダンスは、もともとは植木等さんがなさっていたのを志村けんさんがカバーしたものでありました。およそ20年の時を越えて「ウンジャラゲ」は二度ヒットしたのです。

昭和末期から平成初期にかけてのいわゆる「バブル期」は、ジャニーズ事務所出身のアイドル「光GENJI」の全盛期でもありました。彼らのパフォーマンスは当時の若者にうけ、ローラースケートをベースに、片手剣(剣の舞)、手旗信号(地球をさがして)、バック転などが次々と流行り、「光GENJIのやってる事はなんでも若い者に真似される」といった、一種の社会現象でありました。

90年代後半、バブルが崩壊するとともに、光GENJIの人気も下火になっていきましたが、その後継の如く現れ、人々を励ましていったのは、SMAPやKinKi Kids、そしてモーニング娘。をはじめとした「つんく♂ファミリー」など、やはり歌と踊りを売りにした人々でした。

SMAPは結成当時こそ当時のアイドル業界としては下火状態でしたが、歌詞が全部関西弁で書かれた「Hey Hey おおきに毎度あり」という一風変わった作品がヒットし、この曲でSMAPは初のオリコンチャート1位を獲得します。

また、モーニング娘。は1999年(平成11年)に発売した「LOVEマシーン」という曲が初のミリオンセラーとなりましたが、やはりヒットの最大の要因は「明るく親しみやすい踊り」であったように思います。それまでのモーニング娘。は、少しフォークに近いようないわゆる「しっとり系」を思わせるものが多かったのですが、売上が芳しくないのを感じたつんく♂さんは、思い切ってそれまでにはなかった明るく弾む作品を出し、それが見事ヒットしたのです。

現代でアイドルといえばAKB48を思い浮かべる方も少なくないでしょう。しかしその中でもとくに売れて社会現象にまでなったのは、明るく、また踊りやすく誰でも振り付けが真似できそうな作品に多かったのではないかと私は思います。「恋するフォーチュンクッキー」はその代表とも言えましょう。

と、ざっとこれまでのヒットした曲について振り返ってまいりましたが、それを通じて私が何を言わんとしているのか、それは明日書いていこうと思います。
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