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2016年10月26日00:37

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猪木とビンス(383)

結果論になりますが、カール・ゴッチは新日本プロレスから派生したU系団体に旗揚げ時のコンセプトとしての部分での「象徴」として必要とされただけのように思います。

UWF、藤原組、パンクラスはいずれも最初の頃だけゴッチのブランドを利用して「本物志向」をアピールしたに過ぎなかったのではないでしょうか?

個人でも、全日本の渕正信を始めバトラーツの石川雄規、新日本時代の西村修等がゴッチに教えを乞うており、直弟子、孫弟子を入れると大多数の日本人レスラーがゴッチとの関わりを持ったことになります。

さて84年8月29日、高崎市体育館で開幕したUWFカール・ゴッチ最高顧問就任記念「ビクトリー・ウィークス」からは佐山聡がタイガーマスク、ザ・タイガーに次いでマスクマンとしては2度目のマイナーチェンジをし、スーパー・タイガーのリングネームで銀色と紫をイメージカラーにしたマスクを着用し、紫のパンタロンスタイルのコスチュームに変身。

山崎一夫と共にUWFの契約選手としてリングに上がることになりました。さらにタイガージム会長職にあったショウジ・コンチャ(曽川庄司)と絶縁しています。

開幕戦のメインイベントはUWF史上おそらく最初で最後の6人タッグマッチ。前田日明、藤原喜明、高田伸彦の「藤原組」が揃い踏み。

ジャック・スヌーカ、ランバージャック、ジェリー・オルスキー組と対戦。高田が三角絞めでランバージャックにギブアップ勝ち。この外国人メンバーの中で初来日だったオルスキーはUスタイルに対応出来るセンスを持ち合わせ、次期シリーズも連続で呼ばれました。

Sタイガーはリチャード・チャーランド(76年10月国際プロレスにマスクマンのザ・テンペストとして来日、90年8月全日本プロレスにリチャード・シャラン表記で来日)を体固めで破っています。

81年1月の全日本プロレス以来の来日となった元WWA世界ヘビー級王者、アナコンダ殺法で知られる毒蛇マーク・ルーインはザ・UFOに反則負けしいきなり?のつく結果となりました。

また、第1試合で生え抜きの若手同士によるデビュー戦が組まれ、広松智と中野龍雄が10分時間切れ引き分けとなっています。2人はいずれも6月の入門テストに合格したばかりでした。なお、この試合のレフェリーは藤原が勤めています。

一方、新日本プロレスでは8月30日に記者会見が行われ、現在行われているブラディ・ファイト・シリーズ最終戦、9月20日、大阪府立体育会館でのメインカードを発表。

大相撲の大関、小錦(高砂部屋本名サレバ・アティサノエ、当時21歳)の兄でハワイでフットボールでならし、格闘家に転身したアノアロ・アティサノエ(当時27歳)が猪木に挑戦。

80年2月27日、蔵前国技館でのウィリー・ウイリアムスとの試合を最後に終止符が打たれていた異種格闘技戦が復活することになりました。

アティサノエは150kgの体重を誇る巨漢で会見には小錦も出席しています。ハルク・ホーガンと猪木の試合が流れた新日本プロレスとしては苦肉のマッチメークでした。

格闘家と言っても実際何?というのが本当のところであり、話題先行型の素人を相手に府立のメインを猪木がやる、ということでまたしても新日本プロレスはファンの期待を裏切ることになってしまいました。

猪木は会見の行われた8月30日、大宮スケートセンターから復帰。「本当はもう少し休んでいたいんだけどね」と体調はまだ万全ではなかったです。

藤波、木村健吾とのトリオでロジャー・スミス、トニー・セントクレアー、ジェリー・モロー組と対戦、12分30秒、延髄斬りからの体固めでセントクレアーをフォールしています。
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