mixiユーザー(id:17119814)

2016年10月08日07:01

249 view

日露戦争(55)

歩「第三軍が旅順要塞への第1回総攻撃を強いられて、大損害を被っていたころ、北方の
  満州ロシア軍の拠点遼陽では、一大決戦の幕が切って落とされようとしていたデス」
榴「8月24日から始まった遼陽会戦ですな。陸軍にとっては旅順攻略などはオマケみた
  いなもので、あくまでも本線はこっち。ロシア軍の主力を早期に叩いておきたい陸軍
  は、旅順攻略にあたっている第三軍を除いた全兵力をここに投入したんや」
三「黒木大将率いる第一軍、奥大将率いる第二軍、野津大将率いる第四軍。それと独立し
  た部隊として、秋山好古率いる騎兵隊があった」
歩「これらを合わせた日本側の兵力は12万5千や。明治日本始まって以来の大兵力や」
榴「しかしながらロシア軍の兵力は15万5千。ロシアは最初からこの遼陽を決戦の地に
  するつもりで、緒戦の鴨緑江や金州・南山の戦いなどで、形勢不利と見るやすぐさま
  撤退したのも、この遼陽に兵力を集中して日本軍を迎撃するつもりだったからや」
三「日本側もそういう事情はわかってはいたが、シベリア鉄道でもってヨーロッパからの
  援軍が大挙してやってくる前に、ここを叩いておかないと物量差で圧倒されてしまう
  から、ゆっくりしているヒマなどない。全力を挙げて攻略に取り掛かった。旅順攻略
  戦のほうが知名度では上やけど、双方の投入した兵力から見ても、こっちのほうが前
  半の天王山という感じやな。まさに主力同士のガチンコ対決ってところや」
歩「日本軍の布陣は右翼に第一軍、中央に第四軍、左翼に第二軍、第二軍のさらに左に、
  秋山好古率いる習志野騎兵第一旅団、通称秋山支隊というものデシタ」
榴「ロシア軍は、遼陽市を取り囲む各市に守備部隊を配備していた。各軍はそれ等の守備
  部隊に相対する形で布陣。仮に遼陽を東京とすると、第一軍が横浜、第四軍が八王子
  第二軍が大宮、って感じの布陣になるかな」
三「まず最初に動きを見せたのが、右翼方面の第一軍じゃった。8月26日にロシア軍陣
  地に夜襲を敢行、ロシア軍を後退させる。左翼の第二軍、中央の第四軍も攻撃を行っ
  ていたが、こちらのほうはロシア軍の頑強な抵抗にあってなかなか陣地を突破できな
  いでいたのじゃ」

0 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する