まあ、この問題は、経験だと思います。
一時的な愛情と長い目で見た愛情の混同があるのではないでしょうか。
一時的に愛せなくてもいいと思います。
そのうち、愛せるようになることが多いからです。
また、本当の話、(世間で言われているほど、滅多にないと思います。)結局、愛せなくてもいいではありませんか。うまく子育てできなくても、それでいいと思います。子どもが存在するということが尊いことですから。
親だってそうでしょう。私などは、「このクソ親父め」と、何回思って、やりきれない思いで過ごしたことでしょうか。
しかし、親はやはり、親です。理不尽な目に逢ったとか、喧嘩したとかという一つ一つの出来事と、全体は違います。
愛情というものは、長い間かかる構築的なものだと思います。
刹那ではなく、育んでいくもの。
だから、こればっかりは、人生経験がないとわかりません。
わかったころには、子育てが終わっているから、皮肉なもんです。
前もお話したことがありますが、
人は、考えていないときもものを考えている、感じていると思います。
たとえば、人は死後、どこに行くのか…などという答えのない問題があります。
時間が経ってから自分なりの考えが浮かんだりしますが、あれは、恐らく、無意識のうちに考え続けていたから浮かぶのだと思います。
同様に、子どもとの関係も、関係し続けるものだと思います。
そこから、愛情が育まれるのであって、愛情とは、刹那にあるものではありません。
長い間、接したのっぴきならなさが愛情です。
だから、必ずしも生物学的な血縁とは関係がありませんし、「出来なんて関係がない」「バカな子ほどかわいい」と言われますが、全くその通りでしょうね。
子を愛せない…そう感じたときの対処法
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=29&from=diary&id=4157811
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