道徳は評価にはなじみません。
ここまで、バカだとため息が出る。
本当にバカなのか、日本を亡ぼす陰謀か…
1 人の心は、人は評価できない。
そのような力は、何人にもありません。
印象が悪いヤツや話を聞かないヤツが、悪い人かというと、直ちにそういうことにはなりません。
また、同じ発言や行動に対する評価が違うのが人間。
そういう不条理こそ人間らしさであり、教師と生徒との健全な関係だと言えます。
ほんの一握りですが、どんな生徒も心から愛せるという天才はいます。(しかし、そういう天才は、教育現場には行かないという傾向があります。。)
男女関係を考えても、人はいかに評価に馴染まないかがわかります。。
東大卒財務省という男と何百人もの女性が結婚したがったり、絶世の美女に何百人という男が群がるかというと、実際は違います。
イケメンで高収入高学歴の男が、さしてきれいではない性格が悪い女性と結婚するのは、よくあることですが、傍からみた彼女の評価と、彼の評価は違うのでしょう。
2 「好き」という感情が不条理だからこそ、人は生きていける。
親子関係もそうです。たとえ人柄や能力はどうであれ、かけがえのない我が子と思うことが親子関係の前提です。
みなさんは、親から、「今度の中間テストで成績が下がったら、お前はクビだ。隣町から成績の良い孝行息子を高い小遣いでスカウトして次の息子にする」などと言われたことがありますか?
あるわけがありません。
健全な愛情や好意には、評価は、本質的に馴染みません。
教師と生徒、クラスメートといった他人同士の関係も同じことです。
3 人の鼻息をうかがうような生き方を、絶対に、教えるべきではない。
大概の生徒や保護者は、いい点を取りたがるでしょう。それには、一般常識に迎合して思考停止する、教師の意図に迎合するのが一番です。
ある秀才がいました。彼は内申点を取らなければ行けない名門公立高校に入り、河合塾で一浪して一流国立大に入りました。
クラッシック音楽マニアです。だから、音楽の先生のセンスのないピアノをいいと思うどころか、耳をふさぎたくなりましたが、そんなことをしたら、いい高校に行けません。それが一番つらかったといっていました。
この人はとても立派な人です。しかし、「先生のピアノ、悪いけど音楽性がない」と言わなかったことが正解か…というと、そうは言えないでしょう。だから、その話をきいたとき、「受かってよかったね」という一般論しか言えませんでした。一般論とは、その程度のものです。
今は、1,000人の、一橋大 → 三菱 という優秀で常識的な人より、
一人のエジソンを育てるべき時です。
このような制度は、明らかに国益に反します。
4 口と行動は違う。
道徳は、行動です。これは、説明する必要はありません。
こんなことをしていたら
上にペコペコ
思考停止
口ばっか
の俗物が大量に生まれるだけです。
■教科化の道徳、数値でなく記述式で評価 専門家会議了承
(朝日新聞デジタル - 07月22日 20:13)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4106642
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