mixiユーザー(id:24934926)

2016年07月21日16:30

307 view

「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている俺は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の神(ワイズマン)を除かなければならぬとアーマーマグナムのトリガーに指をかけた。俺には政治がわからぬ…」これでいい?

日本文学振興会の広告「人生に、文学を。」が「アニメを馬鹿にしているのでは」と物議 意図を聞いた
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4102758

どちらも(一応)愛好している私としては離婚寸前の両親から「お父さんとお母さん、どっちについてくるんだ!/くるの!」と言われているような心境ですね(笑)

アニメ・文学双方の発信者にとっては心外かもしれませんが「これを文字でやられたらわからない」「このシーンには文学的側面があって然るべきなのに、それがないじゃん」と考えることがそれなりにあります。

私にしてみれば共食いですよ(笑)

どちらも馬鹿にしたいしどちらも尊重したい。

恐らく複数のmixiユーザーさんが「伝説巨神イデオン」と富野氏を引き合いに論じていると思いますが、私は高橋良輔氏の「太陽の牙ダグラム」と「装甲騎兵ボトムズ」に触れることで文学に対する幾ばくかの優位性を感じていますけれどもね。

特に前者は従前ありがちだった「主人公の少年は客観的にも主観的にも正義の行動をとっている」というフォーマットを破壊してくれた。
主人公に立ちはだかる父親や、それに対立し、主人公を指導する歴史学者、いずれにも正義があり、それを十分に理解しない(しなかったことに罪はありません)主人公の少年が物語世界では存在させてはならない、あってはならない「無敵のロボット」に乗って「大活躍」し 物語世界の脇道を一生懸命走り抜けて行った。
多くの若者は「そういう経験」を積んでいるものでしょう。

こういう若者のいらだちとか大人の狡さというものは、数ある文学の中でも描かれているのかもしれませんが 30年を経た今、活字で訴えられていたら このダグラムの重さは感じ取れたのだろうか、30年経っても記憶していただろうかと考えてしまいます。

なにも文学を蔑んでいるわけではありません。夏目、太宰、井上、山本、芥川…読みましたよ。

ただ、内容は文学もアニメも荒唐無稽で構わない。強烈に心に焼き付き、今の人生に影響を与えているのが「私の場合」はアニメだということです。





ファウストは、メフィスト・フェレスに心を売って明日を得た。
マクベスは、三人の魔女の予言にのって、地獄に落ちた。
キリコは素体に、己の運命を占う。
ここ、ウドの街で明日を買うのに必要なのは、ヂヂリウムと少々の危険。
次回「取引」。
ウドの商売には死の臭い。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する