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2016年07月17日06:15

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古戦場めぐり「長州征伐・大島口の戦い(山口県周防大島町)」

古戦場めぐり「長州征伐・大島口の戦い(山口県周防大島町)」

◎『長州征伐・大島口の戦い』
「長州征伐」(ちょうしゅうせいばつ)は、元治元年(1864)と慶応2年(1866)の2回にわたり、江戸幕府が長州藩の処分をするために、長州藩領のある周防国、長門国へ向け征討の兵を出した事件を指します。長州征討、長州出兵、幕長戦争、長州戦争などとも呼ばれます。
慶応2年(1866)6月7日、幕府艦隊真木清人の周防大島への砲撃が始まり、13日には芸州口・小瀬川口、16日には石州口、17日には小倉口でそれぞれ戦闘が開始されます。長州側は、山口の藩政府の合議制により作戦が指揮されました。大島口は、長州藩領である周防国大島(屋代島、以下大島と記す)を巡る攻防戦です。大島の北は宮島のある安芸灘に、東と南は伊予灘に面した東西に長い防予諸島の1つです。長州藩の行政区分では、大島宰判の管轄でした。西岸は狭い海峡(大畠瀬戸)を挟んで本州と連絡し、南下をすると上ノ関の港(上関島)に至ります。開戦は上ノ関へ6月7日、幕府の軍艦が砲撃したことにより始まりました。6月8日、伊予松山藩軍は大島へ上陸し、地元住民に乱暴狼藉を加えます。9日、幕艦は島の北側である久賀へ砲撃、11日、再び幕艦の砲撃の後で久賀村から幕府陸軍が上陸します。同日、島の南側である安下庄より松山藩軍が上陸し、村上亀之助の兵と交戦しましたが、当時の日本船籍として最大かつ最新鋭の富士山丸の砲撃に晒されて撤退、夜に長州藩の全軍は本州の遠崎へ撤退しました。長州藩は、最初は大島を放棄する計画でしたが、大島の惨状が伝わったことを受け、10日、山口藩庁は第二奇兵隊、浩武隊を大島へ派遣することを決定しました。また、高杉晋作へ丙寅丸に乗り大島へ向かうように命じました。12日夜、丙寅丸は瀬戸を抜けて、島の北側に停泊していた幕府方の軍艦へ大砲を撃ちかけ撤退しました。この時、富士山丸は大島の沖におらず、蒸気を落としていた八雲丸、翔鶴丸は、丙寅丸を追跡しましたが見失いました。15日に長州兵は大島に上陸、17日に大島を奪回しました。19日、松山藩兵が上陸して民家を焼くなどの行為をして撤退しました。この民家への放火について10月2日、松山藩は大島へ謝罪使を派遣しました(大島にて陳謝の口上を述べたのは11月17日)。なお、その口上では幕府の行動に対して諫言すべきところを、小国がゆえに萎縮して応答して、このような「実に言語を絶し相済まざる次第」を引き起こしたことを長州藩に対して詫びており、幕府に対する求心力の低下を物語っています。

○「浄西寺の砲弾跡」(東和町油宇)
大島口の戦いで、幕府の命令を受けた松山藩は大砲を撃ち込んで油宇(ゆう)に上陸しました。そして、この時の幕府軍艦からの砲撃で浄西寺が被弾しました。

○「快念寺」(周防大島町大字西安下庄第18)
長州征伐・大島口の戦いで、愛媛藩(幕府軍)はこの辺りを占領し、快念寺を拠点に攻め上って行ったようです。

○「妙円寺」(柳井市遠崎729)
長州征伐・大島口の戦いで、大島上陸まで林が本陣とした妙円寺。妙円寺の近くに大島兵の慰霊碑があります。妙円寺に生まれた僧月性(西郷隆盛とは無縁)は、遊学中に海防の必要を感じ、帰郷後、私塾「清狂草堂」をひらいて子弟の教育につとめました。松下村塾と並び討幕に活躍した多くの門人を生んでいます。妙円寺の境内には、月性遺品展示館(要入館料)、僧月性墓、僧月性顕彰碑など、月性を偲ぶ史跡があります。

○「西蓮寺」(周防大島町大字東屋代944)
大島口の戦いで、第二奇兵隊の本陣となったところです。この戦争で一時は、幕府軍側の松山藩に久賀、安下庄を占領されましたが、毛利元就の命日である6月14日に林半七、世良修蔵らの率いる第二騎兵隊が逆襲し、長州藩に勝利をもたらしました。境内に「四境の役大島口本陣の碑」があります。

○「追原古戦場跡」(周防大島町久賀)
大島口の戦いで、幕府軍は現在の明治百年記念公園の近くに上陸しました。公園の中には、戦場だったことを示す石碑等があります。
【久屋寺】(周防大島町久賀)
大島口の戦いの際、一時本陣となったところです。
【大島護国神社の維新墓地】(周防大島町久賀)
第二奇兵隊の参謀であった楢崎剛十郎ら、四境戦争、戊辰戦争で命を落とした23人の墓です。この墓碑群はこの戦闘の戦死者、戊辰北越従軍戦死者、その他維新ゆかりの人たちの墓碑であり、明治10年招魂社祭として毎年8月15日が例祭日として定められていました。八田山公園の大島護国神社にあります。

○「源明山山頂の四境の役大島口戦跡碑」(周防大島町東屋代 )
源明山の山頂に、「四境の役大島口戦跡碑」があります。

○「八田八幡宮」(周防大島町)
八田八幡宮境内に、「四境の役、戊辰の役の戦死者の墓碑」があります。

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