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2016年05月27日13:43

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☆★☆ 光の銀河連合ロード・サナンダ・クマラからのメッセージ ★物質的な身体の幻影と真の現実性★ *:..。o○☆*゚¨゚゚

☆★☆ 光の銀河連合ロード・サナンダ・クマラからのメッセージ ★物質的な身体の幻影と真の現実性★ *:..。o○☆*゚¨゚゚
May 12, 2016

◎ 質問 : サナンダ、私は混乱しています。

貴方は“奇跡の講座”の中で、身体は一つの幻影であり、皆さんは、実際に認知に対する一つの障壁としての機能を果たすように、意図的に考案された状態に、更に一段と踏み込む、更に遠くまで進むと話します。
次に私は、別の教えが身体は神の一部であり、不死の状態まで高められることもあると話す言葉を聞きます。

これを、明確にしてもらえないでしょうか?

★ サナンダ : 大切な最愛なる者、貴方の幻影と現実性の定義次第で、両方の認識が妥当です。

説明します。
その身体は一つの道具、または手段であり、コンピューターが連絡の為に利用される一つの道具であるように、3次元の現実性を把握する為に用いられます。

身体は、それが創造全体の不可欠な部分であるという意味で、実在します。
しかし、その一方で、身体は、その身体に宿る者から離れて霊、または魂を持たないという意味で、身体は幻影的なものです。

身体は一つの内蔵された知性を持ちますが、しかし、それはちょうどコンピューターがソフトと一人の操作担当を持たなければ使い道がないように、一つの霊、または魂によって活性化されなければならないものです。
身体は、知性的な存在(魂)、或いは知性的なエネルギー(霊)の姿として、神によって身体に与えられた生命から離れて、生命を持つことはできません。

貴方は、それは中立的であり、良くも悪くもないと言うことができるかも知れません。
皆さんのコンピューターは中立的であり、利用者の意識次第で、建設的に、または破壊的にも使うことができます。

私は、“奇跡の講座”の中で提供されたいくつかの情報を、明確にする必要があります。
私が身体は幻影だと話した時、私は、自分が身体のレンズを通して、外部の世界を単純に把握している永遠の霊的存在であることを忘れてしまった人々によって、身体に割り当てられたその役割について言及していました。

その講座の中で、私がそう呼んでいる魂は、身体にその魂自信の一つの生命を与えようと試みて来ました。
そして、魂は、特に身体が病気になる時に、魂がその身体の指示に依存すると考えます。

身体の内部には、そこに宿る魂の意識に反対している力はありません。
身体は単純に、その魂の意識の内部の物事に反応しているだけです。
これが、私が認識させようとした要点でした。

私が身体は神の意識を制限する為に作られたと話した時、私は、神は存在しないこと、神は神の子供達が苦しむことを望むということを正当化する為に、身体を利用しようとする人々に言及していました。
内面の奥深くで、こうした魂達は、当初は神と一つであるという漠然とした一つの記憶を持ち、その結果、より低次の密度への分離に苦悩しています。

この闇への転落の辛い記憶を拭い去る為に、そういった魂達は、底に横たわるものを隠す為に身体を利用しようとします。
その創造主を奪われたと感じて、苦悶する孤独な一つの精神です。

今後、そういった魂達は、二元性の楽しみと苦痛に逃げ込んで、一つの虚しい試みの中で内面の渇望を満足させようとして、身体を使うことになるでしょう。
その魂達は、倒錯した楽しみ、薬物、絶叫型遊具、虚栄心、そして、内在する悲しみを取り繕(つくろ)う他の手段に対して、身体を支配します。

身体はエネルギーのマトリクス、つまり、電磁束の幾何学的パターンから構成され、そして、このマトリクスは精神と情緒によって制御されます。

一つの魂がその意識の充分な純化を終えた時、その魂は、その魂の意識のどのような特徴も実質的に身に着ける為に、物質的な身体を修正することができます。
従って、その身体は、その魂の一つの延長になり、その魂が神の力と存在感と同調する時、その身体は神の愛に溢れる存在感を発散させます。

その為、神の存在感を外部の物質的な次元領域に向けて拡張することによって、身体は精霊に満ち溢れて、純化され高貴になり、聖霊に喩えられるようになり、明らかにされた不死で輝く完璧性の具体例になります。

身体が貴くなることを目的として、身体を褒め称える必要も、身体を神の不可欠な部分として理解する必要もありません。
しかし、その一方で、神の聖なる子供の精神から全ての判断を取り除くことが必要になります。

もしも、人が依然として物質的な姿の中にいる間に完璧性に向けて次元上昇しようとするなら、身体が行い表現するどのような物事も、決して判断することはできません。
身体は、一人の真の神の生きている神殿です。

今後、この単純な事実が、肉体の誘惑を超えて、他の具体化された魂達との聖なる統合へと皆さんを運ぶことになるでしょう。

私は、決して、皆さんが身体的な愛が悪い、または罪深いという信念を身に着けることを意図した訳ではありませんでした。
物質的な世界の中の他のあらゆる物事のように、純化して内面に向かう必要性を免れる一つの手段としての物性の崇拝がその問題であり、身体それ自体、または楽しみを感じる身体の能力のことではありません。

物質的な楽しみへの執着は、痛みと苦悩を引き起こします。
何故なら、物質的な楽しみに執着した状態で、人は人の全存在との結びつきを忘れるからです。

物質的な世界の中で神の存在感を確認し、自己と他の人々の内部の同じ完璧さを確認することは、皆さんと神の息子達の間の分離を終りにします。
次に、それぞれの人間関係は、神に関わる神になり、愛のそれぞれの表現は、物質的な楽しみの表現も含めて最大限になります。

皆さんが住むこの世界は、皆さんのそれに関する認知次第で、一つの楽園、または一つの牢獄になる可能性があります。

それぞれの水準、つまり、次元は、一つの認知の仕組みを持ちます。
身体は、3次元の為の主要な認知の仕組みです。

精神と想像力は、4次元の認知の仕組みです。
愛に溢れた心と結晶質の光の身体は、5次元の認知の仕組みです。

存在のそれぞれの水準は、その認知と魂の経験の方法を持ちます。
身体は、この世界の中のその経験を促進します。

その経験の質は、その魂の意識の状態に依存します。
人が更に高い数々の次元へと進化する時、まさに人が目覚める時に夢が一つの幻影のようにみえる場合と同じように、身体は一つの幻影であるように見えるかも知れません。

それにも拘(かか)わらず、夢の次元の内部では、夢は極めて現実的に見えます。

この世界の内部では、身体は極めて現実的に見え、そして、まるで物質的な姿が一つの幻影であるかのように自分達の人生を生きることは、ほとんどの魂に役立ちません。
生きている神の聖なる神殿に対する名誉と敬意は、神が皆さんの器を通して明確に、そして、歓びに溢れて交信できることを保証します。

身体は、一つの知的な様式を持ちます。

創造主は、物質的な次元の中でそれ自体を表現する為に、最も絶妙な認知の手段を造り上げました。
従って、たとえ私によって交信された一冊の本、またはたのどのような参考書の中であろうと、身体は神に属さないと述べるどのような発言も、間違ったものになるしかありません。

もしかすると、一つ、または二つの解釈は、無傷で伝わらなかったのかも知れません。
もしかすると、一つの文節が間違って解釈されたのかも知れません。

奇跡の講座は、罪悪感と罪が、その読者の内部に宿るとことを自覚することによって、その罪悪感と罪を克服する方法における、一つの美しい教えです。

その講座は、私達は一人の愛に溢れる神の産物であり、私達の純潔は永遠に確立されていることを、絶えず私達に気づかせます。
その講座は、内面の神に意識を集中して、物質的な姿に対する私達の執着を取り除く方法を、私達に教えます。

それは重要な内面の真実のことであり、その言葉自体ではありません。
言葉は、ただ言葉を超えたものを指摘できるだけです。
その言葉を利用して、皆さんの聖なる精神と心の中に宿る、その永遠の存在感に対する発想と描写を超えて進んで下さい。

あらゆる物質的な身体が、その安らぎの一つの手段になるようにして下さい。
あらゆる魂の経験を、その安らぎにして下さい。

私は、今日、皆さんに私の安らぎを与えます。
私はサナンダ、永久に永遠の一体性の光の中にいます。


【 参考 】 射手座 http://www.eyelash-carrie.com/open_qhm/

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