>と考えるべきだろう>
マイミク・のりさんの日記
羽生善治名人と人工知能が対戦か 来年5月に「第2期電王戦」開催2016年05月22日20:26全体に公開 みんなの日記 34 view.
羽生善治名人と人工知能が対戦か 来年5月に「第2期電王戦」開催
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4005019
>>>>>
ドワンゴは5月22日、将棋のトップ棋士である羽生善治名人が“最強将棋ソフト”に挑む人類代表決定トーナメント「叡王戦」に出場すると発表した。優勝すれば来年5月に開催される「第2期電王戦」でコンピュータと対戦することになる。
【将棋ファンの反応】
なお、22日に行われた第1期電王戦は最強将棋ソフトの「Ponanza」(開発者:山本一成・下山晃)が山崎隆之叡王に完勝する結果となった。
>>>>>
勝てるかどうかといえば負ける。たとえここで勝っても、いつかは完敗する日が訪れる。それは間違いない事だと思う。
AIとの対戦を勝敗だけの問題としている限り、既に意味はないと思われる。既にAIより人間が優秀かという問題には結論が出た。明らかに人間はそれより劣る。
それをショックだと思う人は、人間の存在価値を"脳"という器官に置いているという事であって、ちょっとまて、人間の中には優れた"脳"の人がいることと、あなたの"脳"も同様に優秀であることは関係ない。つまり、人間の存在価値の前に、あなたの存在価値はとっくの昔に失われていたのだと結論される。
もともと、人間は走っては自転車には勝てない。マラソンの金メダリストでさえ、車で移動よりはずっと遅い。勝てるとしたら都心など特別な場所だけである。
当然ながら飛行機は空を飛ぶが人間は飛べない。どれだけ早いスイマーであっても、当然ながらイルカには勝てない。人間は腸内細菌がいなければ、食べ物をきちんと消化することさえできない。
人間が他の生命よりも優秀であることも、また、それらを頂点に立つという考え方も既に終わったと言えるだろう。もしその考え方を延長したければ人間はAIに支配されなければならない。
AIなんて電源を抜けばいいんだろう?それで停止する、所詮は機械だ、などという時代はあっと言う間に終わるだろう。社会のあらゆる場所に入り込み、そのうちAIなしではインフラひとつも保持できなくなるだろう。
ということを羽生善治が知らないはずもないように思える。とすればAIは将棋の可能性を広げるという考え方が必要だし、AIが開いた将棋の新しい可能性に対して、それをどん欲に吸収するために対戦が必要と考えるべきだろう。
さらに言えば、人間が勝てないAIが生まれたことは、将棋というゲームをこの世界から駆逐してしまうのか。それとも更にファンを増やし、ゲームとして広がりを見せるのか。
ひとつには囲碁のイセドル九段が負けたことも大きいのではないか。囲碁でもトッププレイヤーが負けた。ならば将棋もトッププレイヤーが負けておくべきではないか。それはあらゆる競技がたどる道であろう。
それともAIとは明らかな人間への脅威なのか。それは分からない。恐らく、AIの考え方を理解できるか、理解できないか、という点を知るために対局するのだと思っている。
できれば羽生善治には勝ってほしい。そして二度と打たないでほしいものである。ノイマンは、ENIACとの計算勝負に勝ち「俺の次に頭の良い奴ができた」と喜んだと言われるが、当然だが、その数年後は既に勝てなくなるのである。
最後に勝ったまま終わるのが美しい。だが、負けてもまた美しいはずである。勝敗とは何か、という事をここで考える。
なぜ我々は羽生善治が無敗ではないことを知っているのにAIに一度も勝てないことを重要な事と受け止めるのか。
その問題と比べれば勝敗など些細なのである。21世紀はAIの幕開けである。すると21世紀の終わりにはどのような世界が訪れているのだろうか。もちろん、ターミネータの世界みたいに人間がAIに対抗できる世界など考えにくいのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1952879488&owner_id=6393203
ログインしてコメントを確認・投稿する