〜ダスティン・ホフマンになれなかったよ〜
今回は、題名に有名人の名前が入っている曲を紹介する。
フルネームは無論、ファーストネームのみや愛称の場合でも
作者がハッキリ、特定したもの。
先ず、「シンシア」吉田拓郎&かまやつひろし、
作詞・作曲:吉田拓郎1974年7月。
シンシアとは南沙織のこと。拓郎が、彼女の「早春の港」(73年1月リリース)
を聴いてそのアンサーソングとして作ったとのこと。
有名フォークシンガーが現役の女性歌手をテーマにして
シングルでリリースするとは前代未聞。拓郎はこの当時、
結婚していたがシンシアのことが気に入っていたんだな
。
かまやつひろしは、別にシンシアファンでもなかっただろうに
引っ張り出されたのか!?
シンシアファンとしては喜ばしい事だったが、
今ひとつ、世間では「南沙織=シンシア」というニックネームが
浸透していなかった気がする。沢田研二=ジュリーほど。
それからこのレコードジャケット(左画像)、
少し歌の曲想ともシンシアのイメージとも違う!
まぁ私はレコードは買わなかった。
友人からダビングはさせてもらったが。
♪なつかしい人や 町をたずねて汽車を降りてみても
目に写るものは 時の流れだけ心がくだけてゆく。
そんな時 シンシア 君の声が戻っておいでよと唄ってる♪
当時より今、この歌詞が心に染みる。
「オリビアを聞きながら」杏里 作詞・作曲:尾崎亜美1978年11月
オリビアとは、歌手のオリビア・ニュートン=ジョンのこと。
‘75年の「そよ風の誘惑」で日本でもブレイク。
歌詞の中の「'Making A Good Thing Better'」は彼女のナンバーにある。
しかし、「オリビアを聞きながら」と78年頃までの
オリビア・ニュートン=ジョンの曲がマッチしない気がするんだ。
失恋した時に聞きたい彼女の曲ってなんだろ?
「プリーズ・ミスタープリーズ」あるいは
「ジョリーン」かな?
その前に、「オリビアの調べ」という曲があった。
フォーリーブスのデビュー曲。作詞:北公次/作曲:鈴木邦彦、1968年9月
この場合のオリビアとは、女優のオリビア・ハッセ―を
イメージしたんじゃないかと思う。
ちょうど彼女が主演の「ロミオとジュリエット」が日本で公開された時だから。
まぁ、この曲はハッキリハッセーに捧げた曲でもないけれどね。
「私のフランソワーズ」荒井 由実、
1974年10月発売アルバム『MISSLIM』収録曲。
このフランソワーズとは、フランスの女性歌手、フランソワーズ・アルディのことで
1973年に「さよならを教えて」が、日本でもヒットし、私もこのレコードを買った。
ユーミンの「私のフランソワーズ」はもっと後に聞いた覚えがある。
おそらく77〜8年頃。
そして、そのフランソワーズとはアルディのこととは気づかなかった。
なんとなくイメージとしてユーミンとフランスは結びつかなかった。
吉田拓郎が「シンシア」を歌ったのは前述したが、
77〜8年頃、「夜のヒットスタジオ」で布施明が
片平なぎさの前で、「なぎさちゃん」という自作の曲を
ギターの弾き語りしたのを覚えている。
これはシングルA面で出した記録はないし、B面、アルバム曲でもなさそう。
まぁ布施さん、この時、なぎさを狙っていたんだろうね。
その1、2年後にはオリビア・ハッセーと結婚するわけだが。
「マリリンモンローノーリタン」野坂昭如、
作詞;能吉利人(桜井順)/作曲;桜井順1971年2月
♪この世はもうじき お終いだ·ノー·リターン·ノー·リターン♪
って、いやに弾けた歌だと思ったよ。
また当時の中学生はふざけて「ノータリン、ノータリン」と茶かしたものだ。
マリリン・モンローって、私がまだ幼児だった時に亡くなった女優だから
思い入れはない。
「1986年のマリリン」 本田美奈子という曲もあるが。
「俺はぜったい!プレスリー」 吉幾三1977年11月
この曲がリリースされる前、同年8月にプレスリーが亡くなったんだな。
「ジュリーがライバル」石野真子
作詞:松本礼児 作曲:幸耕平1979年9月
これも日本の現役歌手を歌ったセンセーショナルな曲だった。
この当時、ジュリーはハンサムな男性の代名詞。
1979年紅白で歌唱。白組で苦虫を潰したようなジュリーの顔に注目。
女性歌手で可愛い真子ちゃんが歌うから許される。
西城秀樹が「ジュリーがライバル。撃ち落とせライバル」と歌ったら
大変なことになる!
「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」榊原郁恵、
作詞・作曲:森雪之丞1977年10月
アル・パシーノ+アラン・ドロン以上、、それが渡辺徹かよ!
「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」大塚博堂
作詞:藤公之介 作曲:大塚博堂、1976年6月
アラン・ドロンになれなかった、ジェームス・ディーンになれなかった、
というなら当然だが
ダスティン・ホフマンを持ち出すのが渋い!
一番の歌詞「ジョンとメリー」は見ていないので分からないが
2番の詞、「卒業」のラストシーンでのダスティン・ホフマンに
なれなかったよというのは分かる。
大塚博堂 は、むしろ78年の「めぐり逢い紡いで」で知ったくらいだな
そして、81年に37歳の若さで亡くなった。
しかし、結婚式で花嫁を強奪する男が賞賛されたが
(少なくとも非難はされていない)、
既婚の男性、(それも当初は未婚だと思って)交際していた女性は、
ズタズタに叩かれたなぁ。(^^:
ベッキー涙目「男性と関係を切った」3人で会わず
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=3991224
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