昨日は憲法記念日だった。
ということとはまったく関係なく、またしてもろまさんと待ち合わせた。
今回は午前11時に新宿紀伊国屋。
で、先についた僕は新刊コーナーで目に付いたこれを立ち読みした。
少年の名はジルベール 竹宮恵子著
少女漫画界におけるトキワ荘とも呼ばれる「大泉サロン」での萩尾望都との同居生活、親友兼マネージャー兼原作者の増山法恵との交流、そして禁忌に挑戦した「風と木の詩」を連載に持ち込むまでの紆余曲折などなど。
読ませる内容だったよ。
で、あらかたを斜め読みしたところで、ろまさんが現れた。
で、どこに行こうかちょっと迷った後で、長野屋に決めた。
新宿南口からすぐのところの大衆食堂兼居酒屋。 僕らの行きつけの店の一つなんだ。
で、ハムエッグやイカフライ、ポテサラを肴に瓶ビールで乾杯した。
で、ビールを姫路産の冷酒に切り替えて、酢だこやら肉豆腐を摘みながらいろいろ駄弁った。
例えば、憲法のこととか。
ろま 「憲法ってほかの法律と違って、国民が主体で国家に働きかける構成なんだよな」
僕 「まさにそれが丸山眞男が言わんとすることの骨子なんだ」
いや、僕はこないだ酔っ払って衝動買いした丸山眞男集の9巻を読んでる真っ最中なんでね。
その中の小論の一つが「憲法第九条をめぐる若干の考察」。
まあ、九条については色んな考えがあると思うし、色んな考えがあってしかるべきだしで、どんな話をしたかは割愛するけど。
右翼への批判的な立場に立って戦前の大日本帝国を研究対象にしていた丸山眞男を愛読しているというまさにその一事から、この件に関する僕のスタンスは大よそ察してもらえると思う。
で、ほかにどんなことを駄弁ったかというと、憲法から国際交流みたいなことに話題が移って。
こんなしょうもないことをくっちゃべった。
ろま 「スポーツの国際試合を見てると、中国や韓国は純血主義にこだわってる感じがする」
僕 「まあ、その分、日本の方が国際化が進んでるともいえる」
ろま 「いつごろからそうなったのかなあ」
僕 「讀賣巨人軍が純血主義を捨てて、デーブ・ジョンソンを呼んだのがメルクマールだ」
ろま 「でもあれは外人枠のことだ。むしろラモスが帰化した辺りがターニングポイントだった」
で、僕らはそれにしても、ということで意見が一致した。
箱根駅伝で優勝した山梨の大学はちょっとやりすぎだったんじゃないか。
で、例によって、腹ごなし、酔い醒ましに歩くことにした。
今回はろまさんの発案で青梅街道を西進して高円寺に向かうことにした。
僕 「高円寺かあ、もしかしたらあの晩の再現?」
ろま 「然り」
あれはいつ頃だったかなあ。
僕が前の会社で本部の課長をやってたときだったら30代半ば、副部長をやってたときだったら40代前半。 いずれにしろ、東京の本部でしこしこやってた時代だ。
当時、僕らは今にもまして飲むとよく歩いた。
もともとお互いアルコールには耐性がある、体力もある、徹夜飲みを苦にしないというか当たり前、そんな時代だった。 (今は体力がとてもついていかない)
で、あの日は歌舞伎町かどこかの新宿で飲んでるうちに終電の時刻を過ぎた。
で、当時はヤサ代わりにしていた馴染みのスナックが高円寺にあった。
で、高円寺に行くべということになった。
その晩はねえ、雪が降っていた。
僕らに理性が残ってたらタクシーを拾ったと思う。 そもそもほんとに理性があったら、終電前に引き上げてた。
しかしなにしろいい加減酔っ払ってたので。
高円寺なんてすぐそこだ、歩くべ、としちまった。
で、実際歩き始めたんだけど。
そのうちに雪が本降りになってきた。 いつのまにか人通りは絶えている。
引き返すにも返せない。 タクシーなんてまったく通らない。
で、とうとう道に迷っちまった。 もうほとんどこういう状態に陥った。
僕は前方をざっざっと進軍するろまさんの背中に向かって、もうちっとゆっくり歩いてくれ、死にそうだ〜と情けない声をあげた。
と、そのとき眼前に突然巨大な建物群が現れたんだよ。
なにか円形のアーチみたいなのが組み合わさったような不思議な建物群で、一見してどこかの宗教団体の本部だとわかったけど。
深夜の雪の中でライトアップされたそれらは、この世のものでない物体に見えた。
もうほとんどスピルバーグのあれだった。
未知との遭遇 Close Encounters of the Third Kind
息も絶え絶えだった僕らはしばしその幻想的な光景に見とれた。
周りはまったくの無人。
建物からは灯りが洩れていたけど、人が出てくる様子はなかった。
あのとき、もしも建物から人が出てきて、がちがちに凍えている僕らを招き入れて暖を取らせてくれたとしたら。 かなりの確率でそのまま帰依したと思う。
僕ら、ほんとに身も心もカチンコチンに凍っていたので。
でも、まあ、幸か不幸かそういうことはなくて、僕らはまた雪の進軍を再開したのだった。
その後どうしたのか、記憶がうすぼんやりしてるんだけど、まあ、無事に高円寺に辿り着いたんだろう。 さらに悲惨な目にあったという記憶もないので。
その後、あのときの建物群は立正佼成会の本部だったと知った。
で、その八甲田山死の彷徨のコースを再現してみようということにしたわけだ。
で、あの晩とはまったく違う明るい陽光の下、青梅街道をのんびり歩いた。
で、目標が大分近づいてきたというところで大きな公園が目に付いた。
で、そこの池で遊ぶ童女たちを眺めながら、ベンチに腰掛けて疲れた足をいたわった。
ろまさんにスマホで確認してもらったら、ここまでで1万3千歩ほど歩いていた。
で、公園を後にしてさらに歩いていくと、ついに目指す建物群が現れた。
真昼に見る建物群はあの雪の晩のSF的な様相は消えていたけど、威風堂々の貫禄があった。
僕 「あのときは丘の上かなにかから見下ろしていた記憶があるんだけど」
ろま 「いや、今と同じように水平に見たよ」
僕 「そおかあ、あれから大分経つからなあ。イメージが増幅したのかもしれない」
ろま 「もしかしたら、幽体離脱してほんとに空中から見てたんじゃないか」
で、祠か塔頭みたいな小さな建造物を前にしたベンチで休憩して。
建物群の周囲を回って、思い出の場所を後にしたのだった。
で、また歩いて高円寺の駅前に着いた。
で、かつてろまさんが愛用してたというタイ料理屋に腰を落ち着けた。
また確認してもらったら、ここまでで1万8千歩だった。 14〜5kmの行程だったということだ。
ほどよく疲れた後の生ビール、最高だったよ。
で、二階堂のボトルを入れて、レバーの唐辛子炒めやらイカの団子やら特性サラダやらを賞味した。 パクチー、美味かったよ。
で、さらに、安くて評判の立ち飲み屋「晩杯屋(バンパイヤ)」に寄った。
のだけど、そこでなにを頼んだのか記憶が定かでない。
で、まあ、お開きにして、中央線の各停に乗ったんだけど。
気がついたら津田沼だった。 おいおい、いつのまにか千葉かよ。
でも、まあ、まだ時刻には余裕があったので、もう一回戻って、京浜東北線に乗り換えて、なんとか無事に帰り着いたのでした。
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