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2016年04月22日10:23

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緊急告知! 私が書いた【魂の禊に水をもって洗う水行】に関して、第七チャクラの目詰まり解消

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=423

私の前回のブログ「魂の禊に水をもって洗う水行。黄泉国との決済。身削ぎ・身殺ぎの辛さを経ずに魂の汚れは完全には取れない」の記事に関して、かなりの質問状がまいりました。


既に私のブログを読んで「水行」の実践を試みている方達が出て来ていますので、緊急に補足説明に入ります。


そうした質問の中で、大本教霊界物語の中にある記述と比しての質問がありましたので、少しご説明をさせていただきます。


大本教霊界物語の記述は質問者から送られた内容をそのままコピペしたものです。


「すべての行は行いである以上、この乱れた地上で正しい生き方を不断にすることこそ、第一の行や。実社会で力を発揮するよりは、何杯水かぶったからといって人にも自分にも偉い者にみられる方がなんぼか楽や。あいつらを見い。何事も『惟神々々』で、自分らの心を省みようともせん。一霊四魂を磨いて、真実の愛、親和力、知恵、勇気を身につけるのが、ほんまの修行やで。ただ水浴びて筆先読んで、自分だけは救われようとする。神界の邪魔ばかりさらしとるのも気づかんと、『さっぱり立替え立直しが来ん』と不平ばかりぬかしてけつかる。こんなのを黄泉醜人というのや」


この内容自体は、私が今日まで説いて来た内容と別に差異はありません。水行よりも「一霊四魂」たる魂の磨きであり、その一霊は天帝の分魂であり、お釈迦様の悟りである「人には良心と呼ばれる神が内在する」です。大本教霊界物語の内容は何一つ間違ってはいないのです。


それなのに、何故に私に「水行」を説かないと、私が殺人者として指名手配されるの夢が出て来たかです。


それは私の以前のブログで説明して来ました「霊子(たまのこ)線」の問題なのです。たまのこと呼んでいただいても「れいしせん」と呼んでも別にかまわないと思います。人の頭のてっぺんたる頂部にチャクラが存在します。こうしたことは大本教は解説しませんでした。

その頂部のチャクラを第七チャクラと呼びます。

百会(頭の頂点)にあります。天の神とか宇宙に感応する場所です。ここから私達の目には見えない霊線が出ています。これを「霊子(たまのこ&れいし)線」と言います。西洋ではシルバー・コードと呼んでいるようですが、必ずしも「銀線」ではありませんので、シルバー・コードと呼ぶのはふさわしくはありません。「霊子線」です。


その天上世界(神界)と私達の肉体を結んでいる肉体の結び場所たる頭部の「百会」の穴のつまりを解消させる為に、頭から水を被る「水行」が出て来たのです。
瀧行では頭の頂点に瀧水を受けることを「脳天受け」と言います。瀧水の場合、脳天に瀧水を受けると意識が吹っ飛んだりしますので危険として、一般的な瀧受けでは脳天受けはさせていないかと思います。

私は伊邪那岐尊様から吉野山の「脳天大神」の元に参拝を命じられて吉野山に行きましが、あまり意味がよく解りませんでした。ただ、私が瀧行をする時は必ず「脳天受け」で、それと「脳天大神」と何か関係しているのかとは感じておりました。
そのことと直接関係はありませんが私が吉野山に行った時、初めての吉野山なのに吉野が懐かしくて懐かしくて泣いてしまいました。自分は過去世において吉野山に関係していたことだけは解りました。

ただ、この脳天受けをすると、天上界(神界)とのつながりが鮮明になる要素があるのです。


だが、瀧の脳天受けは指導者が居ないと危ないので、頭から水を被る水行が出たのです。その効能は第七チャクラの目詰まりの解消です。


この図は私の以前のブログではなく私の他のHpに出した図です。霊子線は頭部の頂点とつながっているのです。臍から出ている線に関しては前のブログに書いています。

フォト


大本教霊界物語にあるように、私達の魂を磨くのは日々の自分の正しい行動。他人を思いやったり、世根として世の為に人の為に尽くすことです。感謝と反省心です。
前回のブログに書きましたが、いくら瀧行を積んでも人格人品が卑しい行者さんは居られます。ただ、法力は得られるです。


前回私が書いた水行は、それによって魂の点数が上がるではないのです。自分の魂に憑いた汚れを流し落として、天上界と結ばれる霊子線の目詰まりを解消させることなのです。魂の点数そのものは、自己の良心点として出てくるもので水行と直接には関係しませんが、魂の汚れから生じているマイナス点を解消させるはあるのです。

ですから、魂にあまり汚れが無い方が水行したからと言って、魂の点数が特に上がるは考えられませんが、魂の汚れから魂の点数が低くなっている場合はその魂の汚れを流すことによって、マイナス点が減れば魂の点数の向上は起きるのが筋と考えられます。



多くの質問に、水行とは水風呂に浸かることかの質問がありましたが、夏の行水ではないので、水風呂に浸かることが主眼ではないのです。
頭部の頂点(百会)の目詰まりを解消させるなので、頭部の頂点に水を掛ける。それもチョロチョロと水を掛けるのではなくて、風呂の蛇口は瀧の水ほどの圧がないので風呂桶の水をガバッと頭から掛ける。瀧行の脳天受けに準じたことです。家庭の風呂場でいいので、白衣の着衣も要らず、裸でいいのです。

ただ、その時は祝詞なり御経を上げながら水を被るです。祓いだからです。為には祝詞や御経はそらんじて上げられるでなくてはいけません。一見すると寒いように思えますが瀧行など終えると体がポカポカするように、体の内部から熱くなって来るも起きますが風邪の時は禁物です。少しの回数だと寒いのです。数をこなすとポカポカして来るものなのです。
毎日、毎日水行する必要はありません。行者の様に一年365日続けて瀧受けをするなど一般的ではないからです。また、誰も神主をしているわけではありません。休日の時にだけでもいいわけです。月に一度か二度でもいいわけです。ただ、一度こっきりの水行では第七チャクラ(百会)の目詰まりなど解消は出来ません。

次に水行の仕方に関してもかなり質問がありましたが、特段の作法は無いと思います。ただ、神仏の御加護の元にするということで、水行する前に神道の形式。2拝2拍1礼して、祓い戸の大神達にお願いをして、足の膝から下に水をかけ。腕にも水をかけ。心臓付近を水にぬらした手で水に体を慣らします。そして肩から交互に水をかけ、体が完全に慣れたなら頭からガバッと水を被ります。
最初の一瞬は息が出来ない感じがするでしょうが、体が慣れて来ると苦しさから抜けます。それは「禊」行だからです。

出口王仁三郎聖師さんが生きておられた時代より、遙かに社会は汚れきっていますので、当時の様に安易なことは言えないのです。
私は昭和20年生で、昔の人達は貧しくても人間が良かったと思いますが、今の世は便利で物質に恵まれて来ましたが、逆に世の汚れは減るのではなくて逆に増えて行っています。人心そのものは「荒廃」して来ているのです。

その世の汚れが増えれば増えるほど【天災を増発】させます


既に水行に取り組んだ方達の中で霊的能力がある方達からは、低い霊達が足下に落ちて行くのが解ったとの報告も来ていますので、まったく効能が無いということは無いと思われます。

ある程度の水行をこなすと、低い霊は落ちてしまいますので、延々と続ける必要はありません。


私が紐解いた大本教神諭予告「九つ花」から導き出される「米」教そのものは、低い霊に懸かられていると【真理】に到達するが難しい面があります。その場合は、まず【禊(みそぎ)】によって低い霊を洗い落とす



ただ、どこまでも魂の修業とは、自分磨きであることはお忘れないように願います


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