横浜市港北区さんぽ「日吉・日吉神社から高田町興禅寺」
○「日吉不動尊」(日吉2-27)
東横線日吉駅から北に向かうと、矢上川の手前の台地が途切れるところの斜面に「日吉不動尊」があります。日吉には2箇所の日吉不動尊があり、一つはここの小さな不動尊で、もう一つは日吉本町の金蔵寺です。ここの不動尊については、情報がありません。
【東急電鉄発祥の地碑】
日吉不動尊の前に「東急電鉄発祥の地」碑がありましたが、現在は元住吉電車区車庫敷地内(川崎市中原区木月)に移築されています。
【日吉公園】(日吉2-31)
日吉公園は矢上川沿いの高台に存在し、春には梅の名所として知られています。
【赤門坂】(日吉本町1丁目)
市立日吉台小学校の南から慶応普通部の北を通って南西に下る坂は、「赤門坂」と呼ばれています。横浜市の標識があります。坂の途中の旧家・横山家の門が、無期足から朱色に塗られているところからこう呼ばれてきました。
○「日吉神社」(日吉3-9)
東に向かうと、矢上川沿いの高台に「日吉神社」があります。創建年代は不詳ながら、神明社と称していたといいます。昭和14年当地矢上が横浜市に編入され日吉町となったのに伴い、日吉神社と改称したといいます。
【矢上天神社】
境内の祭礼備品等庫跡地には、平成になってから天神さまを太宰府天満宮より分霊し、新しく境内末社として「矢上天神社」を創建しました。
【日吉神社東の庚申塔】(日吉3-9)
日吉神社入口(石段下)の東に、文化12年(1815)銘の馬頭観世音(浮彫)、地神塔、地蔵座像、寒念仏塔、文政9年(1826)銘の坂東秩父/四国西国八十八箇所大願成就塔が並んでいます。
○「保福禅寺」(日吉4-16)
南に向かうと、慶応義塾大学の北側に「保福禅寺」があります。詳細不明。
【日吉熊野神社】(日吉5-18)
南東に向かうと、慶応義塾大学の東に「日吉熊野神社」があります。創建年代は詳らかではありませんが、もと熊野三社大権現と称し、『新編武蔵風土記稿』によれば「当社は村の中ほど山の中腹にあり社地に古松生い茂り古き宮地とみゆ」と記されています。
【熊野神社南の庚申塔】(日吉5-18)
熊野神社の南の宮前公会堂入口のコンクリート祠の中に、寛政5年(1793)銘の青面金剛庚申塔、立身地蔵が並んでいます。
○「弥生式住居跡(慶應義塾大学内)」(日吉4丁目)
新幹線高架下の石段を上ると、慶應義塾大学の構内南側に、19基あったうちの1基(第111号竪穴)が保存されていますが、敷地内立入禁止のため道路から柵越しに見るだけです。昭和6年三田史学会を中心に日吉台を発掘調査した結果、日吉台上のほとんど全般にわたり弥生式竪穴住居跡の存在が確認されました。
○「箕輪諏訪神社」(箕輪町3-8)
西に向かうと、東横線の先に「箕輪諏訪神社」があります。箕輪村の鎮守社として文安元年(1444)に創建、大正3年に村内にあった御嶽社・稲荷社・天神社・神明社・厳島神社・道祖神を合祀したといいます。
○「大聖院」(箕輪町3-12)
箕輪諏訪神社から西に向かうと「大聖院」があります。慈覚大師が開基となり大同年間(806-809年)に建立、什吽法印が文永元年(1264)に開山したといいます。准秩父三十四観音霊場24番。
【大聖院南の庚申塔】(箕輪町3-18)
大聖院の南に、享保19年(1734)銘の青面金剛庚申塔があります。
○「高田東2丁目の庚申塔」(高田東2-36)
西に向かうと高田東2丁目に、宝暦9年(1759)銘の青面金剛庚申塔があります。
○「高田西4丁目の庚申塔」(高田西4-8)
南西に向かうと高田西4丁目に、文政9年(1826)銘の青面金剛庚申塔があります。
○「高田天満宮」(高田西3-25)
富士見住宅地を北東に向かうと、高台に「高田天満宮」があります。正中2年(1325)申酉の方より光物が現れ震動し小蛇が現れた奇瑞により、領主桃井播磨守直常が社を建立、江戸期には高田村の鎮守社だったといいます。
○「興禅寺」(高田町1799)
高田天満宮の北に「興禅寺」があります。天台座主慈覚大師円仁和尚が東国下降した仁寿3年(853)、当地に自刻の勝軍地蔵尊を当地に安置して開山したといいます。明治4年ごろまで寺子屋「高田学舎」(高田小学校の前身)を創立し、多くの男女が学んだそうです。武相不動尊7番、関東百八地蔵霊場86番、准秩父三十四観音霊場27番、稲毛七薬師6番。
【石幢と板碑】
境内に入って右側に、珍しい「石幢」(せきどう)や「板碑」があります。どちらも鎌倉・室町時代に死者を供養するために建立された卒塔婆の一種といいます。
【横浜七福神(寿老神)】
横浜七福神の寿老神が祀られています。
【興禅寺北の庚申塔】(高田町1959)
興禅寺の北に、文政8年(1825)銘の青面金剛庚申塔があります。
【高田町谷戸原の道祖神】(高田町1916)
西に向かうと高田小学校北側の交差点角の木祠の中に、平成5年再建の双体道祖神(大歳神の銘あり)があります。左側の小祠には、地蔵、四国西国供養塔(彫像は如意輪観音)があります。
○「西原の道祖神」(高田町2522)
西に向かい西原バス停のある交差点を右折、200m位先の左側に日吉ギヤ−製作所があり、その入口の左側に屋根(赤)だけの仮屋に入って寛政3年(1791)銘の双体道祖神があります。左側に、庚申塔と立身地蔵があります。
○「塩谷寺」(高田西4-34)
戻って高田中学校の南を下って行くと「塩谷寺」があります。慈覚大師が開山となり創建したといいます。准秩父三十四観音霊場28番・29番、多摩七薬師霊場1番、稲毛七薬師1番。
【塩谷寺南の庚申塔】(高田西4-35)
塩谷寺入口の南に、宝暦2年(1752)銘の青面金剛庚申塔があります。
○「長円寺」(高田西5-41)
西に下って行くと、高田西5丁目に「長円寺」があります。安蓮社尊譽(元和元年=1615寂)が開山となり創建したといいます。
○「正福寺」(新吉田町4569)
早渕川を渡り南西に向かうと「正福寺」があります。創建年代等は不詳ながら、当寺第二世が秀覺(寛永元年=1624寂)だといいます。准秩父三十四観音霊場28番・29番、都筑橘樹十二薬師霊場3番。
【正福寺北の庚申塔】(新吉田町4593)
正福寺の北に、元禄10年(1697)銘の青面金剛庚申塔、明和6年(1769)銘の小川庚申塔があります。
○「吉田杉山神社」(新吉田町4509)
南に向かうと「吉田杉山神社」があります。旧新田村吉田の郷社で、横浜市内唯一かつ旧武蔵国の式内社である「杉山神社」の有力論社の一つとされています。『新編武蔵風土記稿』では、「除地二段五畝、村の北方にあり、石階数級を登りて社前に鳥居を立つ、本社二間に二間半、拝殿三間に二間、南向、神体不動、村内正福寺の持」と記されています。なお、当神社の神宝や由緒書等は別当寺であった正福寺により保管されていましたが、同寺院の火災の際に尽く焼失したと伝えられています。
○「円応寺」(新吉田町4098)
東に向かうと「円応寺」があります。伝統行事として毎年、「柴燈護摩火生三昧(さいとうごまかじょうざんまい)火渡り修行」が披露されます。火渡り修行は、1300年前から真言密教に伝わる修行でもっとも厳しい荒行とされます。
○「浄泉寺」(新吉田東3-28)
東に向かうと「浄泉寺」があります。誓譽(元和2年=1616寂)が開山となり創建したといいます。
【浄泉寺北の庚申塔】(新吉田町3988)
浄泉寺の北の小山の中腹に、正徳3年(1713)銘の青面金剛庚申塔があります。
○「嘉六地蔵」(新吉田東1-1)
南東に向かうと吉田橋の北に、天和3年(1683)銘の庚申地蔵(嘉六地蔵)と青面金剛庚申塔(銘年不明)があります。
○「若雷神社」(新吉田町3490)
西に向かうと「若雷神社」があります。清和天皇の時代(9世紀後半)に、賀茂別雷神社(上賀茂神社)から別雷命を勧請したのが始まりと伝えられます。寛政10年(1798)には社殿再建に先立ち、吉田神社より春日神を勧請、これが地名「吉田」の由来とされます。
【若雷神社北の庚申塔】(新吉田町3520)
若雷神社の北西に、天保7年(1836)銘の青面金剛庚申塔があります。
○「稲荷神社」(新吉田町6080)
西に向かうと第三京浜の先に、「稲荷神社」があります。
【稲荷神社南の庚申塔】(新羽町4497)
稲荷神社の南、新羽町に宝永2年(1705)銘の青面金剛庚申塔があります。
○「浄流寺」(新吉田町3317)
東に戻ると若雷神社の南に「浄流寺」があります。
【浄流寺の庚申塔】
境内に、元禄13年(1700)、文化8年(1811)銘の青面金剛庚申塔があります。
○「常真寺」(新吉田町3240)
南に向かうと「常真寺」があります。天文5年(1536)室町時代後期に創建されたと伝えられています。開山は、日蓮宗大本山池上本門寺(東京大田区)第九世東照院日純聖人です。
【新田小学校南の庚申塔】
西に向かうと新田小学校の南に、文化13年(1816)銘の青面金剛庚申塔があります。
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