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2015年12月04日19:47

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シチリア史(15)

ローマはカルタゴ本国攻略のために、大艦隊を編成。一方のカルタゴも迎え撃つべく、大
艦隊を編成した。ローマ軍は330隻のガレー船、カルタゴ軍は350隻のガレー船だ。
そして船上の兵員はローマ14万、カルタゴ15万といわれている。

両軍の大艦隊は紀元前256年、シチリア島エクノモス岬沖の海域で激突した。この海戦
でローマは船団を3つに分けて三角形の陣形を採る。一方のカルタゴは鶴翼の陣形。ロー
マ艦隊は、三角形の底辺にあたるところには輸送船団をおき、戦闘船は槍の穂先のように
敵に向いていた。この戦闘船が突進。

一方カルタゴは鶴翼陣の中央部が後退。これはローマの戦闘船を深くおびき寄せ、その隙
に両翼の船がローマの輸送船団を襲うという作戦だった。この作戦はまんまと図に当たる。
当たるのだがしかし、ローマの戦闘船団は強力で、カルタゴの中央部が早々に崩れ去った
ため、引き返した戦闘船団によってカルタゴ両翼の船団も包囲殲滅される展開となった。

こうしてエクノモス岬の海戦もローマの勝利に終わった。次はいよいよカルタゴ本国の攻
略である。ローマ軍はチュニジアの東に上陸し、カルタゴから東へ40マイルのケリビア
を占領し、カルタゴを目指した。カルタゴも本国が攻められるとなると必死だ。大軍を編
成して迎え撃つ。

ローマ軍の指揮官はレグルス。カルタゴの南東64キロほどのアディスで両軍は激突。こ
の戦いも陸戦に強いローマが勝つ。カルタゴ側はローマには敵わん、とみて和平交渉を望
んだ。しかしレグルスの出した条件が、「シチリア、サルディーニャ、コルシカのローマ
への譲渡、海軍の全放棄、巨額の賠償金、ローマへの隷属」という厳しいものだった。

こんな要求は飲めない、ということでカルタゴは最後の抵抗を選択する。

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