1970年の10月28日、カンボジアで沢田教一氏が亡くなりました。
ベトナム戦争も、はるか昔、ずいぶん記憶に残っている人も少なくなって、
氏の記憶もテレビドラマとかで随分脚色されたものになりつつあります。
私が小学2年生の時、氏は亡くなりました。
当時、カンボジアはクメール・ルージュ政権の為、多くの国民が粛清されていました。
異常な事態は、報道すらもシャットアウトし、記者が戻ってこないケースが続出した事です。
私は何も知らないまま、
海外で日本人記者が亡くなったニュースを見ていた記憶があります。
彼が「日本のカメラは写りが悪い」「日本のカメラを使うと壊れちゃうんだよ」と、
日本製のカメラを使いたがらなかったと言う話をしたとい言う伝記を読んで、
そんな事は無いと、私のニコン遍歴が始まります。
平成生まれの人などは、フィルムカメラを知らない人も多くなってきたのではないかと思います。
ニコンF2を2年に一度オーバーホールに出していますが、手に入らないパーツも増えてきました。
整備から返ってきたF2をぶら下げて歩いていたら、娘連れの友人に会いました。
いいね、久々に見たなあ。と、娘に「このカメラはぜんまい仕掛けなんだよ。」と。
小学生の娘はきょとんとしていましたが、友人は、いいんだ。と言う顔をしながら、
「A-1オーバーホールに出そうかな?」とつぶやいていましたが、
娘に手を引かれて東の方へ去っていきました。
「いっぱい撮ったものなあ、一緒に山に登って。」
随分昔になりました。
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