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2015年10月29日06:26

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安倍首相の訪問のウズベキスタン、ナポイ劇場は68年前に日本人抑留者の建てた「記念的建造物」で、今に至る親日的な国民感情を醸成

 中央アジア5カ国(トルクメニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、キルギス、カザフスタン;10月22〜28日)歴訪中の安倍首相は、25日、訪問国のウズベキスタンの首都タシケントのナポイ劇場でコンサートやバレエなどを鑑賞した。

◎タシケント、ナポイ劇場の出演者が「あるさと」を合唱した意味
 コンサートでは、出演者が日本の唱歌「ふるさと」を合唱する場面があり、安倍首相は盛んに拍手を送った。
 事情を知らない人なら、「ああ、そうか」とだけ思い、安倍首相に好感を抱かない左翼は、「いい身分だ」と揶揄するだろうが、いずれも「物を知らないアホ」と呼ぶしかない。特に後者に対しては、「恥を知れ」と言いたい。
 訪れたナポイ劇場は、実は戦後すぐにソ連赤軍によってシベリアなどに抑留された日本人抑留兵士たちの建てたものだからだ。彼ら抑留者は、重労働の終えた夜やたまの休日の余興の日に、必ず「ふるさと」を歌って、望郷の思いに浸ったものだ。

◎抑留者の建てたナポイ劇場
 戦後、民間人を含めて多くの将兵が不当に凍土に拉致され、6万人とも言われる死者を出した「シベリア抑留」は、実は正確ではない。
 確かに抑留されたのは、極寒のシベリアに圧倒的に集中していたが、モンゴルの他、当時のソ連邦の一員だった遠く中央アジア、ウクライナ、グルジアにまで送られたからだ(ただし遠方の抑留地の方がシベリアよりも気候が厳しくはなく、食料事情もマシだったので、死亡率は低かった)。
 ソ連の一部だったウズベク共和国(当時)にも、日本人捕虜は送られていて、タシケントで使役されて建てた建物の一部がナポイ劇場だったのだ。

◎1966年大地震でもナポイ劇場は唯一残った
 ソ連を継承したロシアが、いまだに反日であることと裏腹に、ウズベキスタンは日本に友好的である。
 したがって安倍首相を、日本人虜囚の建てたナポイ劇場で歓待し、1日の労働の終わりに日本人虜囚が歌った「ふるさと」を合唱したのは、精一杯の歓迎の印なのである。
 ナポイ劇場は、1947年に完成したが、日本人の勤勉さと技術力の高さ、そして丁寧な仕事の証しとして現地の人たちに尊敬されているのは、1966年に起きたタシケント地震で、周囲の建物が倒壊したのに、ナポイ劇場はびくともせずに残ったからである。そしても今も現役で使われているのだ。

◎抑留者の勤勉、誠実な仕事ぶりに現地の人たちは感銘し、親日的に
 抑留は、ウズベキスタンと日本の間に不幸な出来事だったが、今のウズベキスタンの国家と国民には何の罪もない。あれは、スターリンが命じたことだったからだ。
 なお安倍首相は、ナポイ劇場の観劇に先立ち、抑留中に命を落とした日本人抑留者の墓地も参拝した。
 靖国に今年も参拝できなかった安倍首相にとって、この参拝は感慨深いものだっただろう。
 なお、総ページ704ページと大部で、簡単には読めないが、あらゆる資料を読み込み、独力で「シベリア抑留」の実態を調べて書かれた『シベリア抑留全史』(長勢了治、原書房、2013年)に、中央アジアでの抑留も記載されている。いずれの国でも、現地ソ連人は日本人虜囚の仕事ぶりに感銘し、尊敬されていたという。
 今日の親日的な国民感情は、その時に醸成されたものである。

昨年の今日の日記:「ポーランド紀行:ヴィエリチカ岩塩坑の華=聖キンガ礼拝堂の壮麗;紀行」

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