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2015年08月31日21:44

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【146】 2015/8/31(月) 良いニュースと悪いニュース」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15994 (写真入り記事)

今日は、朝一番でいくつかの仕事を終えてから、大会の協力を依頼するために20の教会を訪問しました。

今日は、夏休み最後の日の長女にアシスタントをお願いして、2人で一つひとつの教会を回りました。

今日の題名にあるように、一日を振り返ると、良いニュースと悪いニュースがあります。

まず悪いニュースは、ナビが誤表示したという問題もありますが、車で曲がっていけないところを曲がってしまったため、交通違反で警官に止められて、青切符を切られました。

止められて、違反を告げられても、納得がいかず、無性に腹が立ち、その怒りを収めることが難しかったです。

月曜日の朝、体が疲れているし、無い時間を割き、しかも、ボランティアで教会訪問を一生懸命にやっているのに、免許の点数が引かれるわ、反則金は取られるわで、踏んだり蹴ったりです。

まず、郵便局に寄って、すぐに反則金を支払いました。早く忘れたかったからです。

また、娘に、「人生には思い通りにいかないことがあるんだよ。その時は、人生大学の授業を受けたと考えたらいいんだ」と話しました。

娘は、私が警察に止められた姿を見て、食欲がなくなってしまったようです。

最初は、娘を励ますつもりで、「反則金のお金は、人生大学の授業料を支払って、車を慎重に運転して事故に遭わないように講義を受けたんだよ」と話していましたが、自分の言ってる話に自分が感動して、怒りは徐々に収まり、心が和んでいきました。

今日は、とても疲れました。20の教会が、30や40に感じました。

しかし、その中でも、最後の最後に良いニュースがあります。

行った教会の先生にお話をしていたら、「協力教会になります」と言って、その場で登録用紙にサインをして下さいました。

今までの苦労や疲れは吹っ飛び、喜びでいっぱいになりました。これが良いニュースです。

神様は、私に悪いニュースと良いニュースを与えて下さいました。

この順番が最高です。

聖書のメッセージも、この順番で、悪いニュースと良いニュースの2つです。

まず、聖書が語る悪いニュースとは、「あなたは罪人(つみびと)です」という宣告です。

全宇宙の最高裁判官である神様は、私とあなたに向かって、「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6:23)と判決を下されました。

これは、正真正銘の現実です。変えることができない事実です。

聖書は、福音(=グッド・ニュース)だと言われますが、良いニュースが良いニュースになるために、まず、悪いニュースが必要です。

悪いニュースを聞かなければ、聖書が良いニュースにはなりません。

教会に来て、神様のめぐみがわからない人に共通することは、罪がわからず、自分に対する罪の認識がありません。

罪とはなんでしょうか? 罪とは的外れのことです。神という的から外れ、神に背を向けて生きている状態です。

神から離れている罪の状態は、木から切り落とされた枝のような状態です。木から切り落とされた枝がやがて枯れるように、神から離れた人は、やがて死にます。

聖書は、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」(ヨハネ15:5〜6)と語ります。

私たちは、先祖アダムとエバの罪のゆえに、命の源である神から離れた状態でこの世に生まれてきまました。

「私たちは自分の齢をひと息のように終わらせます。私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。」(詩篇90:9〜10)

「『主は、・・・人の齢は、百二十年にしよう』と仰せられた。」(創世記6:3)

人は通常、70〜80歳、長くても120歳で人は死を迎えます。

死は避けられない現実です。

しかも私たちは、肉体の死である「第一の死」だけではなく、「第二の死」と言われる永遠の滅びに定められています。

「人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」(ヨハネの黙示録20:13〜15)

ここまでが、聖書の悪いニュースです。ここからは、聖書の良いニュースです。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)

私たちの「第一の死」と「第二の死」を代わりに背負って死んで、復活された方がいます。

イエス・キリストです。

聖書は、「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、」(第一コリント15:3〜4)と語ります。

つまり、イエス様は、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえられました。

信じるだけで救われます。

聖書はおとぎばなしではありません。一宗教の単なる聖典ではありません。神の言葉です。

私は今日、無自覚でしたが、交通違反をし、警官から止められて青切符を切られました。これは、悪いニュースです。教会訪問のしょっぱなからこんなことが起こってしまったので、怒りを抑えられず、やる気をなくしてしまいました。

しかし、最後に訪問が実を結び、教会協力のサインをして頂いて帰って来ました。

私をグッド・ニュースが私を待っていてくれました。

グッド・ニュースだけならば、こんなに心が揺さぶられることはありませんでした。そして、こんなに喜ぶことはありませんでした。

さらに、悪いニュースがあったおかげで、娘と人生と信仰についての深い話をすることができました。

力を使い切って帰って来ました。良い一日でした。そして、感謝でした。

みなさん、一日お疲れ様でした。また明日お会いしましょう。

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