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2015年08月24日10:30

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中村天風「理想の人生」

中村天風先生「心に成功の炎を」(日本経営合理化協会)よりまとめました。

毎日が喜びの渦巻きの中で

初めて私の話を聞かれる方は、私が生まれながらにして、現在のように悟った人間だと思われるかもしれませんが、私は35歳までは、めちゃめちゃな人生を生きてきた男です。

軍事探偵として日清、日露の戦争に従軍し、戦争が終わると、恐ろしい死病にとりつかれ、そして、この病から逃れ、せめて昔の心の半分の強さにもどりしたいと、世界を3分の2もさ迷い、最後はインドに行って3年、それでも心というものがわからなくて、のた打ち回ったという過去をもっています。

その私が、中年以後、毎日が喜びの渦巻きの中で生きることのできる悟りと自覚が得られるようになりました。今日の私の幸福を考えるとき、愚痴や悩みの多い人生に生きている人々を、なんとかして自分と同じような喜びの中に、生きてほしという思いが、現在の私の寝る間も片時も離れない、本当の気持ちです。

そのため、どうしてでも、私の話をわからせずにはおかないぞ、という気持ちで話していきますから、皆さんも絶対にわかるぞ、という気持ちで、私の話をお聞き下さい。

理想的な人生のあり方とは

皆さんは、今までに「理想的な人生のあり方」ということをお考えになったことがありますか?

人によって、人生に対する考え方がみんな違っている。現在、病を患ってる人は、第一番に丈夫になりたいということが、その理想でしょう。健康な人は、もっと金が欲しいとか、地位が欲しいとか、あるいは、金や地位は第二として、長生きがしたいとか、いろいろの考え方があります。

しかし、人として生まれた以上、まず第一番に考えなければならないことがあります。それを申し上げましよう。

縁あってこの世の中に人として生まれてきた以上、どんなに学問をしようが、どんなに努力しょうが、またどんなに金ができようが、一生は一生で、二生はないのです。いっぺん死んでしまえば、二度と味わうことができません。この一生は実に尊いものです。

この尊い一生を現在生きていながら、しかも相当の教育を受けた人が、命の尊さを真剣に考えているかというと、そうでないほうがはるかに多いんじゃないでしょうか。

ただいたずらに、食うこと、寝ること、着ること、儲けること等、人生のただ一部分的な事柄だけを、本能や感情の欲するままに求めて、それを得て満足し、得られないで悩みを感じているように、極めて浅い考え方で人生を生きている人が、圧倒的に多いのです。

人生を本当に尊く考え、人間として恥ずかしくない生き方を心がけている人等、めったに見られない。ひざまずいて手を合わせたいような尊さを感じる人は、それこそ暁の星より少ないのです。

いったん生まれて死んじゃったら、二度味わえない人生、おまけに、この命がある今日という日が、どんどんどん過去になっていき、どんなに努力をしても、現在あるがごとき現実に、再び戻ることはできない。

そうすると、瞬間、瞬間が、まことになおざりにできないという考え方でいかねばなりません。どうでしょうか、皆さん。

ところが、ほとんどの人は、1年は365日とはいえ、本当に喜ぶなんて日はめったにありはしない。喜んでも、瞬間の喜びです。その代わり悩みがある、迷いだ、苦労だというやつは、念には念を入れて毎日やってくるようです。

光陰矢のごとしとは?

「光陰矢のごとし」とか「月日に関守(せきもり)なし」という言葉がありますが、本当からいうと、これは人生を充実して生きている人だけにいえる言葉なのです。

好きな人と話していると、「おや、もうこんなに時間がたちゃったの」という具合に、時の経つのを忘れてしまう。道を歩くのも、1里や2里は平気で、そうとう遠回りをしたって、くたびれはしない。反対に、嫌いなやつと歩くと、道の半町も歩かないうちにくたびれてしまう。

心朗らかに、何のわだかまりもなく、楽しい、うれしいという時を味わってる間は、時間も空間も超越してしまうんですよ。

だから、「もう1年たったのかい」という言葉は、本当に快く人生に生きている人の言うことで、悶えがあったり、迷いがあったり、苦しみがあったら、もうその言葉は当てはまらないんです。

ですから月日が早くたつと感じるのは、おおらかに人生を生きている人だけなんです。そのおおらかに人生を生きている人が、理想的な人生を生きている人なんです。

理想の人生の4条件

理想の人生といえるためには、4つのことが必要です。
第一に、「強く」、日々の人生がどんな場合であっても強いこと。
第二は、「長く」、できるだけ長生きをしていること。
第三は、「広く」、できるだけ人生を十分に広く生きること。
第四は、「深く」、人生の深さを深くすること。

長く
 いうまでもなく、人としてこの世に生まれてきた以上、第一にその生命ができるかぎり「長く」生きられなければ、この世に生まれた甲斐がないということです。
ところが世間には、人生に、未だ何事もしないうちに、早くもこの世を去り、何のために生まれてきたのか、わからない短命の人がたくさんいます。この世に生まれてきた以上は、長く生きなければ、嘘でしょう。

強く
いわんや、「強さ」を失った人生じゃア、生きていても生きがいがないでしょう。いくら長生きをしても、その人生に強さが兼ねそなわらないと、ただこの世に長くいたというだけで、長く生きているのが煩わしくさえ感じるという不幸なことになるでしょう。
お集まりの中にも、病をお持ちになっているお顔が見えますが、私も8年間、辛い病に冒されましたが、病んでるとき、そこには少しも華やかな人生はありません。

「人は、健康を考えないときが一番人間は幸福です」という言葉があります。この言葉のとおり、丈夫なときには丈夫なことは考えないし、どこも痛くないとき、「痛い」という人はおりません。だから、本当に丈夫な人は、健康ということを考えません。

広さと深さ
そして、人生に「長さ」と「強さ」だけを兼備したところで、まだまだ完全とはいえません。人生には、それぞれ各人各様に振り当てられている、なさねばならない多くの事業や仕事があるんです。その仕事や事業を完遂して、さらにまたいっそう有為の事実を現実化しなければ、人間として広義の義務が尽されないんです。
その目的を実現するのには、人生に「長さ」と「強さ」の上に、「広さ」と「深さ」がなければならないのです。
ですから、人間、ふたたび繰り返すことのできない世の中、どうしてもこの四つが完全であってこそ本当になるでしょう。


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