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2015年05月29日17:21

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戦車王国・ドイツ復活の“裏”…一気「100両増」を可能にした技術とノウハウの蓄積

 下記は、2015.4.30付の産経ニュース【軍事ワールド】です。

                        記

 戦車王国・ドイツが復活することになった。冷戦終結後、主力戦車を随時削減し、ついには200両余りまで減らしたドイツだが、独政府高官が4月、保有数上限を約100両増やし、328両を上限とすることを明らかにした。ウクライナを舞台にしたクリミア危機に対応するための措置だが、高価で生産にも時間がかかる主力戦車を一気に100両も調達するという“魔法”の裏には、武器輸出を解禁した日本が目標とするべきひとつの理想形がある。(岡田敏彦)

 レオパルト2の軌跡

 ドイツが戦車を大幅に増やすとのニュースは、4月上旬に独週刊誌シュピーゲルやシュテルン(電子版)、英ロイター通信、米スターズアンドストライプス紙(電子版)などが一斉に報じた。対象となる戦車は、独クラウスマッファイ・ヴェックマン社が生産する「レオパルト2」だ。

 「レオパルト2」は1970年ごろに開発が始まり、先代の「レオパルト1」を全面的に強化したタイプとして原型車(試作車)によるテストが重ねられ、レオパルトAVとしてデビュー。一時は米国でも採用を考慮してテストが行われた(米国は結局クライスラーM1を採用)。主砲は「1」の105ミリ砲から120ミリ砲へと火力を強化。装甲は根本的に見直された。

 「1」は設計の際、当時ワルシャワ条約機構軍(ソ連軍など)が採用を始めたAPFSDS弾(装弾筒付有翼徹甲弾)やHEAT弾(成形炸薬弾)の威力に対し、従来の金属を用いた装甲(均質圧延鋼装甲)では防ぎきれないことが判明。防げるほど装甲を厚くすると、今度は重すぎて機動力が大きく削がれることとなる。そこで、装甲はほどほどに諦め、敵の弾が当たらないよう素早く動く、つまり機動力でカバーする方針で設計された。

 これに対し「2」では、鋼板の間にセラミックなどを挟む「拘束コンポジットアーマー」という全く新しい装甲を採用した。当時の西ドイツ軍は、冷戦下でNATO(北大西洋条約機構)の先兵としてソ連の機甲師団と対峙(たいじ)しており、新型の「2」は1979年に正式採用され、約2100両が配備された。

 訓練にも事欠く…

 冷戦終結とドイツ再統一が完了した1990年ごろには「2」のほか「1」の改良型、東ドイツ軍が配備していたT72など計約7000両もの戦車を保持していたドイツだが、その後は欧州の安定化に伴い戦車戦力を暫時削減。現在は約20分の1の225両にまで減っている。

 この結果、レオパルト2は多くの部隊に少数ずつ配備され、戦車兵は少ない戦車に交代で乗って訓練を行うなど不都合が生じていたという。

 ちなみに陸上自衛隊の戦車配備数は、主力の90式戦車が約340両。退役が進む旧式の74式戦車が約300両。いかにドイツが思い切った削減をしたかがわかるが、この英断には「増やそうと思えばいつでも増やせる」というドイツならではの事情がある。

 欧州標準戦車に

 ドイツではレオパルト2を欧州各国に輸出して量産効果で単価を下げようと計画したが、当初はオランダとスイスが採用したのみ。ところが、冷戦終結で本家ドイツが保有数を削減するにあたって状況は一変した。

 このときドイツでは、くさび形の増加装甲を設けたレオパルト2の新型(2A5)の採用を決定。このため旧型(2A4)は保有数削減計画、新型の採用、さらにオランダでの削減も相まってドイツ国内でだぶつくようになり、“安価な中古車”として売り出された。

 その結果、オーストラリアやスウェーデン、フィンランド、スペイン、ギリシャなどが採用。海を渡ってカナダやシンガポール、さらにサウジアラビアやカタールなど欧州域外の国までが導入した。

 需要があると見込んだドイツと製造メーカーは、退役させた戦車をスクラップにすることなく、さらなる輸出や部品供給用にストックした。今回ドイツが一気に100両も増やせるのは、こうしたストックの戦車を再整備するだけでよく、一から生産しなくて済むという事情がある。

 量産効果で技術の途絶を回避

 輸出のメリットはほかにもある。各国の軍の要望によって増加装甲をつけたり、電子機器を最新型に換装したりとアップグレードの需要も発生するのだ。レオパルト2の生産に関わったメーカーは1500社以上あるが、こうしたメーカーが、アップグレードや交換部品の生産で会社と雇用を維持、最先端技術の途絶を回避してきた。

 兵器の国産化は簡単なようで難しい。例えば韓国の場合、戦車は計画開始から10年以上たっても新型(K2戦車)を開発できず、特にエンジンと変速機を一体化した「パワーパック」に至ってはドイツから輸入せざるを得なかった。

 日本でも1945年の敗戦から10年以上の空白期を経て開発された61式戦車では、その変速機や操向装置を開発するに当たり、第二次大戦中に生産した「四式中戦車チト」の機構を採用している。

 当時、M24「チャーフィー」やM41「ウォーカー・ブルドッグ」など、米軍の戦車の変速機の方が性能がいいとわかっていたが、冶金(やきん)をはじめ多くのノウハウの塊である変速機構は、簡単にコピーなどできない。地道な技術の継承がなければ、自家薬籠中のものにはできないのだ。

 10式の将来像

 現在日本では10式戦車の生産と配備が進行中で、44トンという比較的軽量な車体にドリフト走行もできる機動性、最新の電子装備に加え、新型の砲弾が現れても対抗できるようモジュール型(交換式)とした装甲など、諸外国の戦車に抜きんでた特徴を持つ。

 特に軽量な点は、道路や橋といったインフラ整備が未発達な国には大きな魅力となる可能性がある。レオパルト2のように輸出が軌道にのれば、調達価格の削減もさることながら、技術の継承の面でも大きな効果が望めるだろう。

 http://www.sankei.com/west/news/150430/wst1504300004-n1.html
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