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2015年05月20日11:05

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教育を受けさせる義務

まず基本的に、ウチは一人娘を休ませて旅行に行ったことは(結果的に)無かったけれど、別にいいんじゃないの? というのが私の意見です。
そんなに頻繁にだと問題もあるし、それ以前に(特に自身の判断力も、社会性・周囲との関係も発達してくる高学年ともなれば)本人の意思、希望というのが必要条件だけど。

まあそれについては、「色んな考え方があります」という問題だと思います。
私がどちらに賛成か、どちらが(その時点において)社会の多数派かということはありますが、それによって「どちら(だけ)が正しい」ということはないと思います。


それより気になるのが、皆さんの日記を読んでみると、タイトルの「国民の義務」に触れている意見がいくつかあること。
教育に関しては、(主として子ども)本人の「教育を受ける権利」が、たしか憲法のどこかで(明示でないまでも)保障されており、それと表裏をなして保護者の「子どもに教育を受けさせる」義務が、納税や労働などと並んで重要な、そして数少ない国民の「義務」として規定されている、と理解しています。

それについては(義務であること。だから、「国民の義務」なのだから学校を休ませて旅行、ってのはまずいんじゃないの? という「考え方」については)大賛成でもないけれど特に異論はありません。

ただ、その義務の範囲が、たとえば年に一度くらい、平日を2日休ませて金曜から月曜の3泊4日の家族旅行に行くことを妨げるほどの絶対的な、例外を認めない「義務」なのかどうか。
病気のときは勿論休ませるし、それを「国民の義務違反」だと言う人はいないでしょう。これは「病欠」で皆勤賞の資格は失いますが、法定伝染病などによる「出席停止」や、それから「忌引き」も欠席扱いにしないことになっています。つまり「それはしょうがない」と。「何がなんでも絶対」とは規定していないのだと思います。
だから「法律(国民の義務)違反」であるかどうかは、要するにその「義務」の範囲の解釈の問題であると、私は思います。

私には法律の趣旨から言って、さらに社会通念上の「一般的感覚」から言って、「保護者の、子どもに教育を受けさせる義務」の範囲、程度について、それを理由に「学校休み旅行」を否定する人の感覚(と論理)に違和感があります(結論には、賛成しませんが違和感はありません)。

「ウチは自営だが貧乏で人手が足りないから、息子には店番させないといけないし、娘には弟の子守りをさせるから、学校なんてやってられない」とか「アタシは水商売で子どもを育てていて、明け方帰ってくるのだから朝食なんて用意できないし、アタシが起きて出勤する前に食べる朝/昼食は、アタシは疲れていて無理なので小学生の娘が用意するのだから、娘は学校なんて行ってるヒマはない」とか、いささか極端だがこういうようなことを禁止しているのだと、それが法律の趣旨だと思うのです。

親子二人暮らしで、親が高熱を出して意識朦朧。救急車を呼ぶほどではないがトイレに行くのもタイヘン。どうにかタクシーを呼んで病院に行った結果、危険は無く、薬ももらったが自宅で安静が必要で、頭を冷やしたり、汗をかいた寝巻や下着を頻繁に交換する必要があり、常備していなかったスポーツドリンクやらお粥のようなものを買って来たいが本人は無理。でも小学校高学年の子どもにはそれが可能。

こういう状況が本当にあるかどうかわかりませんが、「たとえば」こんなときにも、「休ませるべき」「それが正解」とは思わないし言いませんが、「それもアリ」「間違ってはいない」と私は思います。
少なくとも、この状況で「休ませてはいけない」としてもその理由が「国民の義務だから」だとは思いません。

色んな人の色んな考え、感覚があるのは当然だしそれは尊重したいですが、単純に「国民の義務」違反だからダメーッ!」という人には、「本当に、よく考えてみてもそれがあなたの結論ですか?」と聞いてみたい。
それでも「そう。絶対にそう!」だと言うのならば、それはそれで一つの意見だし、間違いとは言わないけれど、私の違和感はその結論にではなくて、「本当に、よく考えてもそうなの?」という部分です。




■家族旅行で「学校を休ませる」に是非 ネットで話題再燃「学畜かよ」の声も
(キャリコネ - 05月19日 20:20)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3424273
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