1906年2月。ドレッドノートという戦艦がイギリスで進水。
同名の艦としては6隻目です。
1900年辺りまで、海戦の砲弾命中率は個々の大砲を操作する砲手の技量に左右されました。
各大砲で判断したので独立撃ち方と呼ばれていました。
大量の砲を舷側に並べるこの方法は砲戦距離が数千mまでは有効でした。
1904年の日露戦争では実際に最大砲戦距離は10,000m以上におよび、
日本海海戦では日本海軍は独立撃ち方をやめ、艦橋から一元的に距離を指示し、
砲側では一切修正しないという斉射に近い射撃方法に変更していました。
日本軍は海戦を有利に進め、日本海海戦で戦争の決着すらつけてしまいます。
ここから、多数の同一口径砲が同一のデータを元にした照準で同時に弾丸を発射、
着弾の水柱を見ながら照準を修正してゆく『斉射』の有効性が認識されます。
この6代目ドレッドノートは、戦艦としての分水領となり、日本語の
「ド級(弩級)」、「超ド級(超弩級)」、「ド級艦(弩級艦)」と言う表現や、
フォークギターのサイズを表す「ドレッドノート型」という表現を生みます。
一般的な人の感覚で「弩級」と言うと単純に大きさのイメージだと思います。
ドレッドノートがその名を轟かせた本質は、長距離戦闘だったのです。
日本人は知らずに使っている人が多いですね、テレビの影響かもしれません。
とても日本語的な音なのにイギリス由来、少し不思議な感覚です。
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