下記は、2014.12.24付の【産経抄】です。
記
きのうの朝日新聞の1面コラム「天声人語」は、冒頭で司馬遼太郎さんの言葉を引用していた。司馬さんは小紙の大先輩である。お返しというわけではないが、小欄には深代惇郎(ふかしろ・じゅんろう)さんにご登場を願う。かつて「天声人語」を担当した伝説のコラムニストである。
▼折しもその生涯をたどったノンフィクション『天人』(講談社)が、上梓(じょうし)されたばかりだ。筆者の後藤正治さんはあとがきで、「新聞への思い」を執筆の動機に挙げている。深代さんを描くことで、さまざまな問題を抱える新聞の意味を再確認したいというのだ。
▼取り上げられた珠玉のコラムのなかで、「天声人語」の由来に触れた一文に目が留まった。「天に声あり、人をして語らしむ」の意だと説明してこう続く。「しばしばこの欄を、人を導く『天の声』であるべしといわれる方がいるが、本意ではない。民の言葉を天の声とせよ、というのが先人の心であった」。
▼朝日の慰安婦報道問題の本質も、ここにある。事実に反した記事を流し続けてきたのは、自分たちの主張を「天の声」として人を導くためではなかったか。「新聞社は運動体ではない」。問題の検証に当たった第三者委員会の岡本行夫委員も、厳しく指摘していた。
▼膨大な報告書をまとめた委員のみなさんのご苦労には、頭が下がる。ただ、朝日の慰安婦報道の欠陥について、小紙はこれまで何度も報じてきた。それにほおかむりしたあげく、外部の機関に検証を委ねた点には違和感が残る。
▼「いいよいいよ、相互批判がないとジャーナリズムは駄目になっていく」。深代さんに、朝日を批判する小紙の記者をとがめる様子はまるでなかったという。もちろん小欄も、批判を真摯(しんし)に受け止めるよう自戒したい。
http://www.sankei.com/column/news/141224/clm1412240004-n1.html
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