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2014年12月06日06:34

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武蔵村山市さんぽ「歴史民俗資料館と野山北六道山公園」

武蔵村山市さんぽ「歴史民俗資料館と野山北六道山公園」

○「七所神社」(本町5-11)
多摩都市モノレール上北台駅からMMシャトルバスに乗り、横田で下車して北に向かうと歴史民俗資料館の手前に「七所神社」があります。鳥居の傍に説明板があり次の説明があります。
《創立年代は不詳ですが、この七所神社の他に愛宕社(勝軍地蔵)・八幡社・諏訪社・八坂社の四社が祀られています。八幡社等以前は横田の各所に鎮座していましたが、明治四十年に合祀されたものです。祭神は国常立命、素戔嗚尊、軻遇突智命、誉田別命、建御名方命。》
七所神社の名前は、「天神七代」の七代を七所と呼んだといいます。祭神の国常立命は、天と地が分れたときに最初に地に現れた神で、日本の神々の最高位のグループに属し、これが七所神社の主祭神と思われます。この地は昔「横田」と呼ばれ、七所神社は横田村の人々の産土神(ウブスナガミ)でした。横田基地とはかなり離れていますが、太平洋戦争中の日本軍の多摩飛行場を、戦時中に米軍が勝手に横田飛行場と名付けたため、戦後そのまま横田飛行場即ち横田基地となったといいます。
http://www.geocities.jp/yokanbay/musamura-shichishojinja.html
http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=1060

○「横田子之権現社」(本町5-24)
多摩湖通りに出て北に向かうと、道路東側に「横田子之権現社」の看板が見え、そこに丘を登る階段があります。道路崖上の草深い中に参道(山道)が続き、不安になったころに赤い鳥居と本殿が見えてきます。ちょっとした山の中にある足腰が鍛えられる神社です。本堂の横には、見慣れない「俳句○○会発祥の地」の碑などがあります。
http://blog.goo.ne.jp/daimatsuno/e/3b9fc323e7c18c4ddb0a5fbb2f8d2b92
http://ameblo.jp/falun1/entry-11383482929.html

○「歴史民俗資料館」(本町5-21)
武蔵村山市立歴史民俗資料館は、狭山丘陵南麓の自然豊かなこの場所に昭和56年11月3日に開館しました。武蔵村山の「自然・歴史・民俗」についての常設展示をはじめ、季節ごとの展示や企画展などを開催しています。野山北公園の入口に位置しているため、四季を通じての自然散策の拠点として利用されています。なお、市指定有形文化財の「人面装飾付土器(把手部位破片)」と「中世常滑窯大甕」は常設展示されています。
http://www.portaltokyo.com/guide_tama/contents/c43005rekisi.htm

○「かたくりの湯」(本町5-29)
村山温泉「かたくりの湯」は、温泉資源を活用することにより、健康の維持増進や世代を超えた交流のできる施設です。お風呂、プール、レストラン(食事のみ可)の利用ができ、歩き疲れた後には最適です。
http://www.nissan-nics.co.jp/katakurinoyu/index.html
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/murayama_katakuri/murayama_katakuri.htm

◎『野山北・六道山公園』(本町3.5.6丁目)
野山北・六道山公園は、首都圏に残された「緑の島」都立狭山自然公園の西端にあり、雑木林と谷戸(丘陵に切れ込んだ谷間)の組合せによって、豊かな自然が残された都立で最大の都市公園です。カタクリの群生地やホタルの生息地、里山民家や岸たんぼといった貴重な里山の風景が広がっており、里山の生活や文化を体験できるほか、ハイキングや野鳥観察、森遊びなど様々な楽しみ方ができる公園です。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index083.html
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kouen/kouenannai/park/noyamakita_roku.html
【あそびの森】
子ども向けのアスレチック遊具が充実しているゾーンです。
http://toba.livedoor.biz/archives/51630610.html
【カタクリの群生地】
花期には、満開のカタクリの花が鑑賞できます。
http://blogs.yahoo.co.jp/mennkuimenmen/37642565.html
【遺跡広場】
園内には縄文時代から古墳時代にかけての遺跡が確認されており、遺跡広場には案内板もあります。
【六地蔵】
野山北公園運動場脇の道路を北に入って急坂を登ると、貯水池の周囲道路に出ます。ここを左に約5分行ったところは通称「焼場」といわれ、三面に二体ずつの地蔵尊を刻んだ「六地蔵」があります。背面には、明治30年8月から11月にかけて赤痢が大流行し、51人が死亡したのでここで火葬したことや、中藤・横田・三ツ木・岸の四ヶ村の念仏講中の人々が供養のため浄財を集め、造立したことが刻まれています。
http://www.geocities.jp/yokanbay/musamura-rokujizou.html
http://toba.livedoor.biz/archives/51904492.html

○「八坂神社」(本町3-48)
野山北・六道山公園から南の八幡口に向かうと、右下に長円寺墓地を見ると住宅地に出ます。下って右にいくと「八坂神社」があります。祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。社殿の扉の隙間から内部を覗うと小さな祠があり、これが京都市祇園の八坂神社の祠かと思われます。
http://namdak.blogspot.jp/2012/05/blog-post_7645.html

○「長円寺」(本町3-40)
八坂神社の西隣に、武蔵村山市で真福寺と双璧の大寺「長円寺」があります。 長い参道は、二つの地蔵像と二つの石柱に挟まれ狭山丘陵に向って伸びていて、桜並木になっています。長円寺は曹洞宗の禅寺で、室町時代の永禄11年(1568)に華山秀呑(かざんしゅうどん)和尚によって開山されました。江戸時代に火災により山門を除く堂舎すべてが焼失しました。現在の本堂は、文久年間(1861〜1864)から明治4年にかけて建立されたもので、本尊は釈迦如来です。徳川家康の朱印状を所蔵しています。
【大弁財天】
山門の左には、池を配した美しい小社「大弁財天」があります。宝暦8年(1758)に建立されました。この弁財天は、長円寺の寺域や墓地の鎮護神のようです。
【大河内氏の墓】
本堂の左裏手には、この地三ツ木の地頭であった大河内氏の墓(市指定旧跡)があります。説明板に次の説明があります。
《大河内家は、初代忠正が徳川家康に仕えて以来の旗本で、天正8年(1590)に二代正勝が三ッ木村のなかに250石の知行地を受けてから幕末まで、代々この地を支配していました。大河内家の菩提所であった長円寺には、初代忠正から八代忠春までの位牌が祀られています。左側の墓石が三代忠次、右側が五代忠政のものです。忠次は大番組頭や御納戸頭を、忠政は江戸の道路や上水を掌る道奉行をつとめました。》
なお、この墓の左にあるのが比留間家の墓で、地頭と並ぶくらいの勢力があったと思われます。歩いてみると、この地区には比留間の名の家が多いです。
【横中馬獅子舞】
毎年4月29日には、長円寺を皮切りに周辺の地区(横田・中村・馬場)を巡る横中馬獅子舞(市指定無形民俗文化財)が五穀豊穣・無病息災を祈って盛大に行われます。
http://www.geocities.jp/yokanbay/musamura-chouenji.html
http://city.tachikawaonline.jp/view.php?area=25&id=512&mode=details

○「滝の入不動尊」(三ツ木5-9)
長円寺から少し西に向かい、北の狭山丘陵(野山北六道山公園)に分け入ると「滝の入不動尊」があります。入口に「心経院」があり、境内に「滝の入不動尊略図」が掲示され、広い境内にいろいろな建物や仏像が配置されています。正式名は「真誠山心経院滝の入不動尊」と称し神仏一体の寺社です。さらに進むと、樋から水の流れ落ちる池があり、これが狭山三滝の一つ「白糸の滝」といわれる湧水で滝の入不動尊と命名した所以なのでしょう。その湧水の上と脇には、二体の倶利伽羅大龍不動明王(一体は延宝3年(1675)造立)が祀られ古くから信仰されています。
【古墳】
境内からは、縄文時代から古墳時代にかけての住居址や土器などの遺物が多数見つかっています。
http://www.geocities.jp/yokanbay/musamura-takinofudou.html
http://www.portaltokyo.com/guide_tama/contents/c43007fudou.htm

○「十二所神社」(三ツ木5-12)
旧青梅街道をさらに西に向かうと「十二所神社」があります。十二所神社は江戸時代の三ツ木村の鎮守で、社伝では奈良時代の和銅年間(708〜714)の創建といわれています。本殿の前に立つとそれらしいメロディが流れてきて、びっくりさせられます。かつては、幹回り4mにも及ぶ栂(つが)の古木があったと伝えられています。境内に祀られている八坂神社は「天王様」と呼ばれ、毎年7月15日前の日曜日に行われる祭礼時には、三ツ木地区を巡行する神輿とともに三ツ木天王様祇園囃子(市指定無形民俗文化財)が古式ゆかしく奉納されます。
http://www.geocities.jp/yokanbay/musamura-jyunishojinja.html
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/26_kitatama/26078.html

○「阿弥陀堂」(三ツ木5-11)
十二所神社の西隣に「阿弥陀堂」があり、園の中を歩くとすぐです。内に安置されており、無住で長円寺に管理されています。境内には赤い袈裟をまとった「六地蔵」が立ち並んでいます。
【峯守稲荷神社】(三ツ木5-13)
門を出ると、左隣に小さな「峯守稲荷神社」があります。阿弥陀堂の鎮護神ではなく、地元の人々の信仰による神社のようです。
http://namdak.blogspot.jp/2012/05/blog-post_129.html

○「慈眼寺」(三ツ木5-32)
阿弥陀堂から旧青梅街道に出て西に進み、再び狭山丘陵に向って着いたのが「慈眼寺」です。「狭山観音霊場めぐり23番札所」です。寺は無住でこれも長円寺が管理しています。本堂前の庭に白い柱が立ち「村山第二小学校発祥の地」と書かれています。
http://www.ne.jp/asahi/joy/sasayama/23fudasyo.htm

○「御嶽神社」(三ツ木3-1)
青梅街道の三ツ木バス停から、北西に少し入ったところに小さな祠の「御嶽神社」があります。この社は「宿の御嶽神社」と呼ばれ、青梅市に鎮座する武蔵御嶽神社の分社として、明治40年に宿村に勧請されました。 
http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=1085

○「赤稲荷神社」(三ツ木3-23)
御嶽神社から青梅街道を西に向かうと、道路沿いに小社「赤稲荷神社」があります。赤稲荷とは、稲荷神社の社殿が赤く塗られているのが命名の根拠とか。説明板には次の説明があります。
《赤稲荷は、嘉永2年(1849)に京都の稲荷総本社より勧請し、再三移転され現在の場所に祀られました。稲荷は、古代に大陸から渡来してきた豪族秦氏の守り神といわれていますが、もともと農耕の神で「稲生(いねなり)」から「稲荷(いねに)」・「いなり」に転化したといわれています。》
http://www.geocities.jp/yokanbay/musamura-akainari.html
http://namdak.blogspot.jp/2012/05/blog-post_7066.html

○「宿薬師堂」(三ツ木3-22)
青梅街道をさらに西に向かうと、宿バス停の傍に「宿薬師堂」があります。砂利敷きの広い境内の南隅に本堂が建っています。宿薬師堂は、慶長年間(1596〜1614)の創建といわれ、本尊の薬師如来は霊験あらたかな秘仏としで信仰をあつめていましたが、昭和15年の火災によりお堂とともに焼失しました。現在の本堂は焼失後の昭和15年に再建されたものです。毎年10月8日・12日・22日は各々一番薬師・二番薬師・三番薬師と呼ばれている縁日で、平成3年に東京都無形民俗文化財に指定された双盤念仏(薬師念仏鉦はり)が奉納されています。
http://www.geocities.jp/yokanbay/musamura-shukuyakushidou.html
【宿の子育地蔵尊】
北西の境内隅に「地蔵堂」(宿の子育地蔵尊)があり、子宝に恵まれない人や子供の成長を願う人達の信仰があるそうです。説明板には次の説明があります。
《造立年代は不詳ですが、明治時代に旧青梅街道が改修されるまでは、東にあった道路の傍(三ツ木3-1)に立っていました。改修のとき現在の場所に移されたものです。以前は近所の子どものいない家でしゅもりをしていたそうですが、今は子育て地蔵とよばれ、毎月4・14・24の縁日には、遠方からもお参りする人々があり篤い信仰を受けています。》
造立年代は不詳といいますが、台座に享保4年(1719)の銘が刻まれているといいます。
http://www.geocities.jp/yokanbay/musamura-shukukosodate.html

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