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2014年11月24日05:56

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国立市さんぽ「たまらん坂から一橋大学」

国立市さんぽ「たまらん坂から一橋大学」

○「野外音楽堂跡」(東1-10付近)
国立市と国分寺市の市境に国分寺崖線が通っています。国立に大学町が開発された昭和始め、この高台には、急斜面を利用して5,000人も収容できる野外音楽堂が作られ、国立音楽院の合唱会が開かれていたといいます。80年前、合唱は雑木林をわたり大学通りまで聴こえていたのでしょうか。今は住宅地となり、国分寺市側の都営住宅から眺めても昔の面影はまったくありません。

○「たまらん坂(多摩蘭坂)」(東3丁目−国分寺市内藤2丁目)
RCの大好きな曲のひとつ『多摩蘭坂』。2009年5月2日に亡くなった忌野清志郎氏のゆかりの地です。坂下の標識の横には、次の坂の由来が書かれます。
《この坂は、国立から国分寺に通ずる街道途中の国分寺市境にあたります。大正時代国立の学園都市開発の際、国立と国分寺をつなぐ道路をつくるために、段丘を切り開いてできた坂です。諸説もありますが、一橋大学の学生が「たまらん、たまらん」といって上がったとか、大八車やリヤカーをひく人が、「こんな坂いやだ、たまらん」といったことからこの名がついたと言われています。当字で「多摩蘭坂」とも書きます。》
忌野氏は70年代に、たまらん坂の近所に数ヶ月住んだこともあり、1981年にRCサクセッションが発表したアルバムで、「多摩蘭坂」という曲を発表したこともありました。忌野氏の実家は国分寺市富士本で、JR中央線国立駅の北側にありますが、たまらん坂はJR中央線を挟んで反対側のJR中央線西国分寺駅・国立駅間の南側にあります。国立市東3丁目から国分寺市内藤2丁目に抜ける通り(東京都道145号立川国分寺線、通称:多喜窪通り)にある坂です。坂を通る京王電鉄バス(国03 国立駅南口←(府中病院経由)→府中駅)は、停留所名を『多摩蘭坂』としています。
以前、たまらん坂の石垣に、歌詞を書いたもの、ライブの感想を書いたもの、キヨシロー大好きとか何度目だとか、清志郎の代わりは居ないだとか、とにかくたくさんのメッセージがありました。このRCファンによる落書きが書かれた石垣は、マンション建設のために取り壊されました。石のいくつかはファンクラブによって、ファンに配られたようです。石垣はなくなりましたが、落書きの石はまだマンションの前に少し残っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%82%89%E3%82%93%E5%9D%82
http://allabout.co.jp/gm/gc/214923/
http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l01121c.html

■黒井千次著『武蔵野短編集 たまらん坂』
黒井千次氏の作品「武蔵野短編集」に「たまらん坂」があります。
http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/musasinobunngakusannpo/kuroisennji/tamarannzaka/tamarannzaka1.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/musasinobunngakusannpo/kuroisennji/tamarannzaka/tamarannzaka2.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/musasinobunngakusannpo/kuroisennji/tamarannzaka/tamarannzaka3.htm

○「怪物の棲む兼松講堂(一橋大学)」(中2-1)
「兼松講堂」が建てられたのは、昭和2年8月で、75年が経過しています。神戸の兼松商店、現在の兼松株式会社が創業者である兼松房治郎翁の遺訓に基づき、翁の13回忌にあたる大正14年に寄贈されたものです。兼松講堂の設計者は、伊東忠太工学博士で日本建築史を教え建築家としても活躍しました。手がけた設計には、築地本願寺、靖国神社、明治神宮、湯島聖堂などがあり、文化勲章を受賞しました。当時の大学校舎のデザインはゴシック建築が主流でしたが、兼松講堂はロマネスク様式を採用し、また、いたるところに怪物(怪獣、空想動物)が施されていることも特色です。
一橋大学のキャンパスには、ロマネスク様式を採った伊東忠太設計の本館、大学図書館、兼松講堂が点在しています。伊東忠太は、社会科で習う法隆寺建築が古代ギリシャ建築の影響を受けているという理論の提唱者という側面もありますが、魑魅魍魎に対する興味も深く、彼の手による妖怪図鑑なども残されています。したがって、彼の設計による一橋大学の建物の内外に配された怪物(ゴブリン)の類には、忠太自身の嗜好がもっとも強く反映されています。忠太デザインの怪物は、決して恐怖感を煽るようなものではなく、どこか愛らしい風貌を有しているのが特徴であり、好きな建築意匠の一つです。
http://d.hatena.ne.jp/mrth/20100504/p2

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