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2013年07月22日17:51

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誤解の訂正・その2

続き。

デマ5「樹村は、大学は現役・ストレートだ」
→正しくは「私は、大学は一浪一降一留で、計3年遅れています」

<解説5>
デマが流されたきっかけは、8ページの「川合の問題点 1),2)」参照。
なお”一降”とは”1回降年”(東大はあまりにも語学の単位が取れないと2年から1年へ降格される)しているという意味。なので、私は学部卒なのに修士卒の井上氏や助川氏と同年齢、宮垣らより1歳年上。
※ 添付した高校卒業証書の卒業年が昭和55年であること、奨学生採用通知の貸与期間が81年4月から始まっていることで一浪であることが分かります。で、81年に大学入学したのに富士通には学部卒で87年入社ですから、大学内でさらに2年、遅れていることが分かるでしょう。

私は何度もそう言っていたのに、川合たちがこのデマを言いふらしたのには閉口しました。このせいで、年下の連中(宮垣や元昭、小太刀ら)が、私に「樹村、年長の自分に対しその口の利き方はなんだっ!敬語を使えっ!」などと言ってくるんだから。当時何度も言っていたように、私の方が年上なのに。宮垣など、免許証でこちらが年上だと示した後も「でも、オレの方が精神年齢が上だっ!敬語を使えっ!」と言って来て、私ゃ呆れたっけ。

デマ6「樹村は親元に住んで会社に通っている」
→正しくは「私は入社後5年間は寮生
2人部屋の下野毛寮で3年(井上氏と同じ寮) → 個室寮の中原ハウスW8で2年(野崎君と同じ寮)
で、年限が来て寮を出た後は武蔵新城でアパート住まい。あきる野転勤以降は立川のアパート住まい」

<解説6>
デマが流されたきっかけは、8ページの「川合の問題点 1)」参照。

デマ7「樹村は親のところに頻繁に行っている」
→正しくは「入社少し前から、以降、一度も親兄弟親戚の誰とも会っていません。当然、行ってもいない。それどころか、電話したことも手紙のやりとりをしたことも一度もない」

<解説7>
デマが流されたきっかけは、吉川の根拠のない想像を川合が肯定したこと。8ページの「川合の問題点 1)」と6ページの「考えられる原因その1」を参照。

私は最終ページに書いたような事情で親に内緒で就職先を決め、就職直前に家出した。このため、就職して以来、会社を辞めて以降も、親兄弟親戚の誰とも一度も会っていないし、電話や手紙のやりとりも全くない。一切接触がないため、今も彼らが生きているか?死んでいるか?まったく知らない。

ちなみに、私が四国でバイク事故を起こし入院した際。「樹村君の親が看病に来ていた」などと川合が言っていましたが、もちろん川合が何の根拠無くデマカセを言っていただけ。入院中は、最初は一緒に旅していた北島と集中治療室の看護士さんに、北島が川崎に戻ってからは看護士さんや事故の相手方(の奥様)などのお世話になっていたのです。

なので、会社を辞めた後の私は貧しいんですね。もうすぐ貯金も尽きるし。まぁ、親も貧しいハズなので、親と絶縁していなかったとしても、貧しいことに変わりないけど。

デマ8「樹村は入社当時、北島のところに住んでいた」
→正しくは「寮に住んでいた」

<解説8>
デマが流されたきっかけは、北島が不正確なことを言っていたこと。寮の名は上記「デマ6」の注を参照。

上記<解説7>で書いた通り、親元から家出した私は、家出直前(つまり就職直前)に、親の家から私個人の荷物(本と服など)を全て北島の部屋に運び込んでいたんですね。二度と親の家に行かなくても済むように(実際、あれ以来一度も親の家に行ってない)。そのため、荷物の入れ替えや自分の蔵書を読む目的で、週に2〜3日は北島の部屋に泊まっていただけ。その分の家賃も負担(確か月9万円のところ、北島6万円・私が3万円)していました。

<ちなみに、家出しても荷物を維持するため、荷物を預けるところが必要
 → 事情を知っていて、留年せず先に就職した北島宅に預けよう、
  → ってことは、北島と同じ会社と同じ部署になっとけば、後々便利
   → じゃ、まったく何の興味もないけど、○士通の先端技に行くしか
    ないかなぁ。ホントは、半導体なんか1ミリも興味ないし、私の
    英語力じゃ開発職なんか務まらないに決まっているんだけどね
 という流れで、行きたくもない富○通に就職し、まったく興味も無ければ
 向いてもいない先端技に配属希望を出したんですね。この項は追記>

話を戻すと。なので、北島の部屋と寮、どちらにより長時間いるか?で言えば寮なので、「どこに住んでいるのか?」と問われれば「寮に住んでます」「でもしょっちゅう北島の部屋に荷物を取りになどで行ってます」としか答えようがない。ところが、北島が「樹村はオレと一緒に住んでいる」などと不正確なことを言うものだから、私が嘘つき扱いになってしまった。

呆れたことに。これも、デマ6と同時に言いふらす輩や、デマ6とこのデマ8を両方信じ込む周囲の連中が大勢いたんだよねぇ。明らかに矛盾してるでしょ!ナンナンダ。私が言ってることが本当なのに...

デマ9「樹村は英語が得意だ、Toeicは800点台だ」
→正しくは「樹村は英語が大変苦手で、中学時代は英語の偏差値40だったこともある。大学入試でも二次試験は英語が零点に近かった。上記デマを流された当時、Toeicなど受けたこともなかった(世の中にはToeicとかいう試験があるらしい、くらいの認識)。会社で受験させられたForte(富士通オリジナル英語テスト)で出て来たToeic換算点は240点(添付資料参照)でした」。

なお添付資料『英語が零点でも東大理一には受かり得る』(予備校講師の方
  <<お名前などは伏せてあります>>
が作成)も参照。

<解説9>
デマが広がったきっかけは、8ページの「川合の問題点 1)」参照。

何度私が抗議・訂正しても、このデマを繰り返し流し続けた川合。彼や吉川らに洗脳されたのか、上記私のToeic換算点を見ており、かつ私が英語が読めず四苦八苦している様子も見ていた助川氏まで、「いや、勝っさんはやらないだけ。出来るのに、やらないんだもん」などと、まるで私がサボっているかのように侮辱するのでホトホト閉口しました。

デマ10「樹村はAさんのことが好きだ」「いやBさんのことが好きなんだ」
→正しくは「私は狭義のアセクシャル(無性愛。Wikipedia http://ja.wikipedia.org/ で解説を検索して下さい。ひと言で言えば、恋愛感情&性欲欠落症)なので誰のことも好きになったことはありません」

<解説10>
デマが広まったきっかけは、藤岡らの妄想を、川合達が肯定したこと。8ページの「川合の問題点 1)」参照。

私について流されたデマのうち、これが一番迷惑で、気持ちが悪かった。特に、虫酸が走るほど大嫌いだった小太刀を私にけしかけた藤岡達のことは心底憎んでいます。ヤツの根拠は「だって、お前、仕事中いつも小太刀の方向を見てるじゃん」。でも私は奴の顔を見ていたことはほとんどない。小太刀がギャアギャア大騒ぎした時「喧しいなコイツ!」と睨みつけることはあったのかもしれないし、職場の座席が一時ほぼ正面だったから、身体の方向はそっちを向いてることが多かった(アタリマエ)のかもしれないけれど。

藤岡に、中国旅行に誘われた際、大嫌いな小太刀も参加するというので最初私は嫌がったんですが。藤岡が「オレ小太刀に気があるからさ、仲を取り持つと思って付き合ってくれよぉ」と言うので仕方なく参加したのに。藤岡のヤツ、周囲には正反対に「樹村が小太刀のことを好きらしいから、仲を取り持ってやろうとしたのに、アイツ奥手でさぁ」と言いふらしていたと後になって聞き、ハラワタが煮えくり返ったことを覚えています。

続く。
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