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【諦めの感性】
こうしてみていると
恵子さんは 1994年に
『薔薇色の人生なんて無かった。』
…と書いているように
その頃には 家庭生活や家族への願いや希望に対して…
ある部分で【諦め】の感覚になっていたようにも見える。
この時 まだ夢6歳
舞8歳 遊13歳だ。
やはり
確かに 精神医療的な(AC的な感性や言動…判断 行動などの)
問題性や 悪循環が
絡み合って
結果的に 彼女自身が書いているように
自尊感情の低下や
彼女自身の孤立感 疎外感を強めて行って
彼女の意識が家庭や子供たちからも
解離して行っていたのではなかったのか?
…とも 俺には思われる。
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1990年に起きた
信頼関係の基本的な問題を
キチンと対話 解決 解消しようとしないまま…
恵子さんが 表面上をごまかし続けて
家庭や 俺との共同生活の
【上部の形】だけ
守ろうとしていたようにも見えます。
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参照
B■隠し事をしようと思う心理について
私なりに言いたいことはありますが、
やはり相手を変えようとすること自体
パワーゲーム的な要素になるので
良い解決方法ではないと思います。
私も英行君も
なんとかできるのではないかと
思い続けてきたことで、
ストレスが続いてきたのだと思います。
これからは、
できるだけ、ストレスがない生活のほうが生きやすいと思います。
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C■自分にうそをつかない生き方をしていくべきだと思います。
そういう意味で、
………
D■接点を少なくしていく方法をとっていくことが必要だと思います。
これは 2007/9/18の時点での恵子さんの意志…?
12/23のドライドランク症状による【DV】は
恵子さんが出ていった直接の理由ではなく…単なるキッカケだったようだ。
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